【要約・感想】『非モテの品格』男らしさの呪縛を解く優しさが宿る魂の一冊

【要約・感想】『非モテの品格』男らしさの呪縛を解く優しさが宿る魂の一冊

言葉にならない不安や絶望、それらを誰かに伝えるため、人文の世界は存在する。杉田俊介『非モテの品格』という本は、そんな試みの本だと思う。本書は三章で構成されており、一章は男にとっての「弱さ」という問題提起を行う。第二章は男にとっての「弱さ」という角度から恋愛や性愛の問題に取り掛かる。そこでは、この問題を「個人の運不運や自助努力の問題としてのみ考えずに、社会や制度の問題として(も)考えてみること」を試みる。そして三章は、二章で得た成果を用いて男性の育児やケアの問題も分析する。このような紹介では、本書へのイメージはデータと理論を用いた冷静な社会評論だと感じるに違いない。だが、この本は「男らしさ」や「非モテ」という繊細な問題によって苦しめられた読者の鬱屈に、魂を賭けて手を差し伸べる。それが本書の魅力、いや人文の魅力だろう。本論では、この本を多くの人に手に取ってもらうため、この魅力を伝えていきたいと思う。

本書の魅力 -怒りとやさしさ、あるいは灰色の思い出たち-

『非モテの品格』は著者の知り合いの自殺から始まる。責任ある立場で働き、かつシングルファーザーであるその人が自ら命を絶ったときに生じた「男のプライドを捨てられたらよかったのに」という反応に、著者はこう思う、「そうじゃあないだろう。なんで、自ら命を絶ったときにまで、「男であること」を責められなきゃいけないんだ」。そこから著者は「でも、「助けて」と言えなかった。最後まで。(…)男たちは、なぜ、「助けて」と言えないのか」と問う。そして、問いを進めるために、こうも言うのだ。「男たちよ、どうか、自分を殺さないでくれ。何もかもに耐えようとして、沈黙に逃げ込まないでくれ」(第一章)。そのあと『非モテの品格』は「男らしさ」による苦しみの原因の一端を社会問題、つまり、正規と非正規という雇用問題やそこから生じる苦しみの一つ「非モテ」について、杉田自身の「一度、完全に行きづまった」という人生経験を切り口として踏み込んでいく(第二章)。この本で語られる分析については、著作に譲りたい。さて、ここまで触れてきて、本論の読者はどう思うだろう。私が冒頭に述べた「魂を賭けて」という意味は伝わったと信じたい。「そうじゃあないだろう」という怒り、「なぜ、「助けて」と言えないのか」という戸惑い、そして「完全に行きづまった」という灰色の思い出。これらを総動員して、問題と解決を語る。「自分の問題を「社会問題」とするなどけしからん」と思うだろうか。だが「自分の問題を、自分の問題とし続けることで、一体、誰が救われるのか」と私は言いたい。本書の言葉を借りるなら「そうじゃあないだろう」と返したい。必要なのは、自分の苦しみを言葉でとらえること、そして「社会や制度の問題として(も)考えてみる」言葉に従い、内側から湧き出る苦しみから、ちょっとだけ距離を取ることだと思う。そう。自分の「男らしさ」や「非モテ」について辛い思いを抱えているのであれば、本書はその苦悩を丁寧に、誠実な言葉をもって取り上げてくれるだろう。ぜひ手に取ってもらいたい。

終わりに代えて 専門家になりたいわけじゃない僕らへの一冊、あるいは別の本への導き

本書を読んだあと「男性」としての苦しみについて、もっと知りたい人もいるかもしれない。一方で、私たちは全員が「専門家」になりたいわけでもない。知りたいことは、「じゃあ、それでどうするか」ということだろう。その点にも『非モテの品格』はは答えてくれる。例えば「恋愛や性愛をあまりにも特別視しすぎるのも、厄介な呪縛の一つだろう」と語ってくれているように。一方で「特別視したい」のであれば、作中でも名前が登場する二村ヒトシの書いた『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』という本なども手に取ってもいいかもしれない。だが、もちろん苦しみが化膿しないように『非モテの品格』をとおして、少しだけ肩の荷を下ろした後に、だ。本書には魂、理論、優しさが詰め込まれている。こういう本に出合えてよかったと一読者として強く思えた一冊だ