【名言・考察】新海誠監督作品『秒速5センチメートル』より

【名言・考察】新海誠監督作品『秒速5センチメートル』より

仕事を辞めたいなと思ったとき、どこからともなく湧き上がる言葉がある。「そしてある朝 かつてあれほどまでに真剣で切実だった思いが綺麗に失われていることに僕は気づき もう限界だと知ったとき会社を辞めた」。『君の名は』『天気の子』『すずめの戸締り』で有名な新海誠の作品『秒速5センチメートル』の主人公・遠野貴樹の独白である。仕事に忙殺されていることや、社会人であれば多くの人が通ったであろう「情熱」が枯れてしまったことの悲哀が文章からでも伝わってくる。そこに対する共感と妙な安心感を覚えてしまうのは私だけだろうか。いや、この台詞には人間味があると思う。まずはこの人間味を詳しくみたあとで、そのように感じる理由を説明したい。

この台詞の前に「僕はただ働き続け 気づけば、日々弾力を失っていく心が ひたすら辛かった」とも遠野は言っている。彼自身が「この数年間、とにかく前に進みたくて」と回想しているだけに、辛さと虚しさが痛いほど伝わる。前身の代償として自分でもわかるほどに心が枯れていく。そして、このことに気づいてしまったことが、また一つの不幸なのだと思わずにはいられない。入社前は働きたくて仕方がなかった「業界」や「会社」。けれど、いつの間にか心は萎れ、もはや情熱自体も「綺麗に失われている」ことの皮肉。わかってくれる人がいると信じたい。「情熱」というのは、本当にいつの間にか「綺麗」に無くなっているのだ。

『秒速』は2000年代(2007年)に公開された。同年代には「ブラック企業」という言葉が市民権を得ていた(2007年頃には『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』という本が出版されている)傍らで、ウルフルズ『明日があるさ』がリリースされている。「働く」ことをテーマとした曲だが、その中に「どうしてオレはがんばっているんだろ」というフレーズがある。なるほど「働くこと」への不信や「頑張ること」の意味を失ったのが人々に共感されていた時代だと考えるのであれば、遠野の台詞に人間味があるのも頷ける。20年代も半ばに差し掛かった現代、私たちは「頑張る」意味を見つけることができているのだろうか。