【歌詞考察】『晩餐歌』はなぜ名曲なのか
--タイパ時代の「価値」と「愛」について--
『晩餐歌』という歌が人気を博している。日本のシンガーソングライター・tuki.による楽曲で若年層を中心に多く聞かれている歌の一つに数えられるだろう。愛する人を傷つけてしまったこと、好きだからこそ離れられないことの葛藤を歌い上げている。曲中で特に印象的なのは「「何十回の夜を過ごしたって得られぬような」というフレーズだろう。この歌詞が言葉にできないほどの愛情の大きさを表している。 だが、このような悲恋をモチーフとした曲は星の数ほどある。そのなかで、なぜ『晩餐歌』が人気を博したのか。結論をいえば「愛情」を言い表そうとする「夜」というフレーズが若い感受性に突き刺さったためだと私は思う。どういうことか。このことを説明するために、まず人気を博した悲恋の曲が「愛情」をどのような言葉にしてきたのかを確認する必要がある。
高級品とお金の時代 -『木綿のハンカチーフ』-
『木綿のハンカチーフ』という曲を知っているだろうか。1975年に販売されたシンガーソングライター・太田裕美の4枚目のシングル。早速だが、この曲が販売された年数に注目してほしい。1975年といえば高度経済成長期が落ち着いた時期ではあるが、まだまだ好景気であり、映画や雑誌が増え、ファッションなどのカルチャーが多様化していった時期でもある。このような時期に販売されたのが『木綿のハンカチーフ』だ。曲は就職を機に上京してきた青年と故郷に残った彼の恋人の心情が交互に歌われている。青年のほうは企業人として「都会」に染まり、一方で彼女は田舎で一緒にいれたときの幸福を懐かしみながら「都会」で変わってしまった彼の姿に、悲しみの涙を流すという、歌詞そのものがストーリー仕立てになっているものだ。 この歌の特徴的なところは、青年が恋人のことを思い「都会で流行りの指輪」や自身の立派な姿をみてほしいと「スーツ着たぼくの写真」を送るところだ。しかし、それに対し恋人は「真珠」も「ダイヤ」も突っぱね「草にねころぶあなたが好きだったの」と漏らす。注目すべき点は、青年のほうは恋人への愛情をお金や高級品で示そうとしているところだろう。「婚約指輪は給料3か月分」と言われていた時代の影響を大きく受けているといえる。『木綿のハンカチーフ』では愛情の表し方がお金や高級品だったことをここで押さえておきたい。
距離と場所の時代 -『One more time, One more chance』-
時代は下って1997年。シンガーソングライター・山崎まさよしの曲『One more time, One more chance』が発売される。ここで歌われているのは、かつて恋心を抱いていた人物の面影を無意識に見つけようとしている姿だ。この歌で着目したいのは「場所」。歌詞の中では「桜木町」のような地名から「交差点」「旅先の店」など場所を表す言葉が頻繁に登場する。そして最後には「命が繰り返すならば何度も君のもとへ」と叶わぬ思いが吐露されている。本文の文脈でいえば、叶わぬ恋心を「距離」や「場所」で言い表しているといえるだろう。改めて時代背景をみてみると、97年といえばバブルが崩壊し、長きにわたる不景気へ突入していた時期だ。また販売年は97年になっているが、この曲の製作は93年と言われている。この時代はまだ携帯やパソコンのような電子機器が一般的ではなく、連絡をするにしても電話が基本だった時期だ。いうなれば人と人との距離が現代ほど近くなかった時代でもある。経済への期待が抱けなかった時期であることも踏まえると「恋心」や「愛情」を言い表すのに、人間関係の最大の障壁である物理的な「距離」や「場所」で言い換えるのにも説得力があるように思える。改めて『木綿のハンカチーフ』と『One more time, One more chance』を並べると、愛情の比喩がお金や高級品から場所や距離に代わっていったことがわかるだろう。
時間の時代 -『晩餐歌』-
ではここで『晩餐歌』を確認してみよう。冒頭に示したとおり「愛情」を言い表そうと「夜」という単語が用いられている。しかも、この「夜」は「何十回の夜」「何百回の夜」「何千回の夜」と回数を重ねていく。ここでいう「夜」は本文の文脈では「時間」と換言できるのではないだろうか。なぜ「時間」の比喩を用いた『晩餐歌』がヒットしたのか。振り返れば思い当たる節はあるだろう。「タイパ」という言葉があるように「時間」というのは現代人において貴重なリソースだ。もちろんお金や高級品、距離などの言い換えもできただろうが、現代の経済状況には多くの人が失望しているところだろう。距離についても90年代より人とのつながりは簡単に保てるようになった(もちろん離れることも簡単だ)。これらのことから愛情の言い換えとしてのお金や距離を示すことは現代人にとって説得力を持たないものになっているのだろう。その代わり重要な資源である「時間」、こそ「愛情」という価値を測れない(測りにくい)ものとして選ばれ、多くの人の心に届いたのだと思う。「夜」という貴重な資源を費やすことが「愛情」という大きさを例えにくいものへの比喩となる。いつでも時間に追われている私たちにとって、それがどれほど大変であり愛情の証明になっていることかは、改めて言うまでもないだろう。下部のリンクは『晩餐歌』につながっているのでぜひ改めて聞いてみてほしい。