経済学者・熊沢誠の言葉

岩波新書『能力主義と企業社会』より引用

「心理的安全性」「ウィルビーイング」という言葉が経営や職場の環境改善という文脈で登場するようになった。その背景には、労働環境の悪化や止まらぬ能力開発・自己啓発による働き手の「燃え尽き」などがあることは容易に想像ができる。このような現状に対する分析、そして本文のサムネイルで紹介した「仕事・なかま関係を大切にすることを労働者の「心の自治」」というようなアイディアを与えてくれるのが『能力主義と企業社会』だ。ここでは本書の魅力を伝えたあと、この本の最も衝撃的な点を最後に話したいと思う。

さて周知のとおり、働く人の職場環境は急激に変化しつつある。本書でも「要するに、これまでは<「横並び」集団主義」——年功と「忠誠心」重視の能力主義——組織人・「会社人間」>、これからは<個人主義——業績重視の能力主義——プロフェッショナル>、その合唱なのだ」と分析する。私たちとしても、ここでいう「プロフェッショナル」についてはジョブ型雇用という言葉の広まりによって聞き馴染みのあるワードとなっている。このような状況に対して「能力主義」の問題点をエリート・ノンエリート、女性、若者たちという縦糸をもって分析していく。その問題点の一つを挙げるならば例えば「集団的および個人別ノルマの過大化など、さまざまなルートを通しての労働負担の増大とゆとりの危うさ」という指摘になるだろう。もちろん問題点はほかにもあるが、それは本書に譲りたい。とはいえ、これまで記載したことに、自身が普段の仕事で感じる違和感と重なる部分があるのであれば、ぜひ手に取ってもらいたい。

では冒頭に述べた「最も衝撃的な点」について述べる。本文で記載している内容について読んでくれた人は「いつの時代」の話だと思っただろうか。これまでの分析について「古さ」はあまり感じなかったのではないかと思う。しかし、本書は97年に出版されている。20年以上前の分析というわけだ。このことを鑑みれば「ジョブ型雇用」のような「能力主義」的言説が孕む問題点は、上述のものと重なるのではないだろうか。「労働負担の増大とゆとりの危うさ」を私たちは「歴史」として学んでいるはずだ。「これまで」と「これから」を分ける言説が、働き手の負担を増やす可能性があることに「今度は違う」と言い切れる根拠を私たちは持ち合わせていない。私たちに本当に必要なのは本文のサムネイルの一文として挙げた「仕事・なかま関係を大切にすることを労働者の「心の自治」」だと思わずにはいられない。