【あらすじ・考察】『僕の心のヤバイやつ』はなぜ「尊い」か

【あらすじ・考察】『僕の心のヤバイやつ』はなぜ「尊い」か

これほどまでにキャラクターにとっての「嬉しい」に「よくやった!」「頑張ったな!」と励ましたくなるラブコメを私は知らない。そのラブコメとは現在アニメ二期が放送されている漫画『僕の心のヤバイやつ』(以下『僕ヤバ』)だ。この魅力をぜひ紹介させていただきたい。とはいえ漫然とした「紹介」ではつまらないので、ここでは『僕ヤバ』の作者が丁寧に書くことを意識したという要素「距離」「変化」「気づき」(第一巻あとがきより)のなかで「変化」に焦点を当てる。個人的には「変化」こそ『僕ヤバ』の主人公たちを応援したいという気持ちにさせる最大の要因だと思うからだ。そのためにまず『僕ヤバ』のストーリーを簡単に述べたあと、取っ掛かりとしてキャラの特徴を整理していきたい。そして、本論の結論部では「魅力」からわかる『僕ヤバ』の「尊さ」について述べよう。

『僕の心のヤバイやつ』は陰キャの中学生・市川京太郎と同じ学年の陽キャで美少女の山田杏奈の恋愛模様を描いたラブコメだ。はじめは接点などなかった二人だったが、図書館にお菓子を持ち込み、それを食べている山田を市川が目撃したことで二人は徐々に親しくなっていく。そしていつしか二人は自分の恋愛感情を自覚していき…、というのが『僕ヤバ』の概要になる。まずここでは二人の特徴として「変化」に対する態度を確認していきたい。結論から言ってしまえば、作中で山田は「変化を恐れるタイプ」と市川を評している。一方で山田自身は「変化を歓迎するタイプ」と言えるはずだ。読者モデルだけではなく、女優業もやり、過去には様々な習い事も経験してきたのが山田杏奈というキャラクターなのだ。では、この「変化」について対照的な二人の要素が、どのように本作の魅力につながっていくのか。

「応援したくなる」とは、どのようなキャラクターだろうか。この点について、私はキャラの「性格」がいいことが必要なものだと思っている。意地悪なキャラクターを応援したくなる人は少ない。そう。『僕ヤバ』の二人は「性格」が良いのだ。市川も山田も、それぞれに向けるまなざしが「優しい」という意味で「性格」が良いと感じる。どういうことか。先程私は、市川は「変化」を恐れ、山田は「変化」を歓迎すると述べた。このことを字面どおり受け止めてはいけない。山田からみて市川は諦めが悪い、一つのことに熱心に取り組める人なのだ。例えば山田が市川からもらったキーホルダーを無くすというエピソードがある。雪が降りしきるなかでの出来事なので、もはや発見は絶望的な状況だ。しかし、そんな場面にも関わらず市川は「ある 絶対にあるから」と山田を励まし、探索をつづける。山田からみた市川は「変化を恐れるタイプ」ではなく「実直なタイプ」に変わった瞬間でもあると思う。一方で市川からみた山田は「何度失敗しても挑戦し続けることができる」タイプに映っている。山田自身は、様々な習い事を辞めてしまったことにうしろめたさを感じ、いつか自分が周囲の人間に嫌われることを想像してしまう。しかし市川は「山田ならまた前を向けること知ってるから」と彼女を励ます。実は市川自身には、中学受験の失敗を引きずっているという背景がある。だからこそ「変化」を恐れず「また前を向ける」山田のことが魅力的に映ったのだ。そして私自身は、本人ですらわかっていない長所を見出すことができる彼らたちについて「性格がいい」と思わずにはいられない。「変化」に対して対照的な二人にとって、お互いが尊敬の対象なのであり、一読者からしてみれば、この尊い関係性がもっと強いものになってくれるようと応援したくなるのだ。

とある有名な社会学者によると「社会」が複雑になると「自己紹介」が大事になってくるらしい。たしかに地域ぐるみの付き合いがなくなったところでは「自分は安全な人間です」ことを示さないと安心して生活が送れない事態が生じてくるためだ。このことは恋愛についても似た部分がある。2015年に販売された西野カナ『トリセツ』という歌は「自分はこういう人間だ」とし、そのうえで上手な付き合い方をしたいという歌詞になっている。このことの前提には「自分のことは自分がよくわかっている」という確信があるのは指摘するまでもないだろう。ところで本論で登場した「尊い」という言葉を辞書でひくと「きわめて価値が高い。非常に貴重である」とある。なるほど現実の恋模様について『トリセツ』にある程度の説得力を持っているのであれば、市川と山田の関係性が「尊い」と感じるのは自然なことのように思える。彼らの関係は、貴重なのだ。そう思うからこそ、いじらしい進展にも一喜一憂してしまう。丁寧であってくれ、慎重であってくれと思いつつも、彼らの「進展」を応援したくなる。そういう風に読者を魅了する傑作マンガなのだ。