【あらすじ・感想】『白光』ミステリー小説の大家が描く人の心の獰猛な闇
ミステリー小説といえば何をイメージするだろう。謎の建築物、怪しげな住人、驚天動地のトリック。はたまた「読者への挑戦状」? 本論で紹介する連城三紀彦『白光』にはいずれの要素も無いが、それでも傑作ミステリーの一冊だと断言できる。奇天烈ではないが、それでも際立つ非凡さ。このような表現が、小説で可能だったのか。そう思わずにはいられない。ここでは『白光』のあらすじと、先の感想まで至った理由を述べていきたい。
あらすじ
『白光』の舞台となるのは平凡な家庭だ。おとなしい姉・聡子に、派手好きな妹・幸子はそれぞれ結婚している。聡子の旦那はゴリゴリのビジネスパーソンであるのに対し、妹のほうは地味だがどこか人のよい男性と結ばれていた。姉妹やそれぞれの夫婦の間にはそこはかとない不協和音が流れているものの、生活自体は穏やか。しかし、そんなある日、妹の娘が姉の自宅で何者かに殺害され、庭に埋められてしまう。若い男が埋めていった、と事件の唯一の目撃者である聡子の義父が語り始めたことをきっかけに、夫婦が、家庭が、平凡な生活が、少しずつ壊れていく。
ミステリの本懐
マニアとは言えないまでも、ミステリー小説は読み慣れているつもりだった。綾辻行人、我孫子武丸、歌野晶午などの新本格。島田荘司や笠井潔らの先駆者たちの作品。森博嗣、清涼院流水が先駆けとなったメフィスト賞受賞作などは、それなりに楽しく読んでいた。しかし、ミステリーの世界は広い。『白光』は、そのことを痛感させられた。そんな『白光』のテーマは人の心の闇だろう。だが、正直この表現は使いたくない。闇よりも深い闇。一読者としていえば「暗黒」という表現が似つかわしい、『白光』といタイトルにも関わらずである。そう思わせるポイントとしては、本書が一人称視点をちりばめており、さらに様々な人物の視点から物語が語られるからだろう。それぞれの感情がダイレクトに読者へ伝わるのだ。本書の登場人物たちは、夫婦「だから」平凡に、姉妹「だから」波風立てずに生きている。しかし、この不自然な「だから」の圧力が強ければ強いほど、一度タガが外れてしまえば、広がるのは底なしの暗黒と苦痛。「どうしてこの家では誰も私の声が届かないの」という作中の台詞は、そのことを物語る。そして唯一の目撃者である義父を「老人」と形容する聡子は次のような独白をする。「むしろこの老人だけが正しくて狂っているのはみんなの方だ、自分も含めて死を何か残酷な悲しいものとしてしか受け止められずにいるみんなの方だと感じた」。この本こそ「ミステリー」というジャンルの本懐ではないだろうか。悲劇が起きるとはどういうことかを、まざまざと知らしめてくれる。
新本格前夜について
新本格が台頭してきたとき「人間が描けてない」という批判が多くあったらしいが「何をもって、そう言えるのか」と私は疑問に思っていた。しかし、本書を読めばそういう批判が出てくるのも頷ける気がする。では本書は、貧困や社会問題を題材にする「社会派」に分類されるかといえば、そうでもないと思う。冒頭で書いたとおり、舞台はあくまでも平凡な家庭なのだ。だからこそ、不気味さが際立つ。さりげない会話、何気ない相槌、それらにその人がどのような思いを込めたのか、そんな身近な憎悪に読者は戦慄することになる。私自身「こんな表現が、小説で可能だったのか」のだ。連城三紀彦。伝説の探偵小説専門誌『幻影城』出身であり「比類なき騙しの達人」(『新本格ミステリを識るための100冊』)と称された作家の圧倒的構成力と人間ドラマを書き上げる筆力が光る作品だ。