【要約・考察】『現代社会はどこに向かうか』から「幸せ」を考える。

【要約・考察】『現代社会はどこに向かうか』から「幸せ」を考える。

【幸せとは何か】永続する幸福へのたった一つの冴えたやり方

アニメ映画『君たちはどう生きるか』がアカデミー賞アニメ映画賞を受賞した。しかし、考えてみると日本を代表する映画監督が現代に放った作品のタイトルが「どう生きるか」というのは意味深な出来事でもある。つい先日、日本のGDPがドイツに抜かれたということも騒ぎになったが、いよいよもって「経済」という明快な「幸せ」の基準が揺らぎ、「幸せ」を再考すべきというサインであり「どう生きるか」というのは誰しもが直面している問題なのかもしれない。実は、このことについて考え続けていた社会学者がいる。見田宗介。本論は彼の『現代社会はどこに向かうか』という本にある「幸福」の再考と、そこへの道筋を紹介してみたい

ところで「幸せ」というものを考える場合、「「社会」が悪いから俺は「不幸せだ」」という思考があると思う。この観念に支配されたのが20世紀の社会運動だと、見田は分析しており、そこに熱中した人たちについて「現在ある自己の一回限りの人生を、耐え忍ぶべき手段のように感覚していた」と彼は述べる。例えば最近、ニュースになった「桐島聡」が典型的な例だろう。革命のためにと奔走した彼の生はニュースで多く報道されており、ここで仔細に述べるつもりはないが、やはり結果的に「一回限りの人生を、耐え忍ぶべき手段」となったのではないだろうか。いや、これは私たちの人生にも言えることである。「徹底して合理主義的なビジネスマンとか受験生などの典型像に見られるように、未来にある目的のための現在の手段化」は至るところにある。では見田は、私たちの人生の何に幸福が宿ると語るのだろうか。彼はフランスにおける「幸福観調査」のなかの幸福になった経験を記載する自由記載欄に着目する。そこには「私はとても幸福です、なぜなら私は家族や誠実な友達に囲まれているからです」や「行っているスポーツ活動が楽しくて」などと書かれており、それに対して見田は「一番大きな印象は、何かとくべつに新しい「現代的」な幸福のかたちがあるわけではなく、わたしたちがすでに知っているもの」が幸福の基層となっていると分析する。友人や家族との団らん。知りたいこと、やりたいことで時間を満たすこと。それは高価なものやパッケージングされたものではない、物欲に溺れることでもない。自身の素朴な欲求を満たすことである。そして、このような分析を積み重ねたあと「肯定的であること」「多様であること」「現在を楽しむこと」が来るべき幸福のための3要素だと結論する。だが、はたしてこれだけでよいのだろうか。

ここでの懸念は、上記のような要素を持ち合わせていない状況をどうするか、ということである。これでは「幸福でいれる人」と「そうでない人」の溝が深まるばかりではないだろうか。この問題について、少しだけ回り道をしたい。進研ゼミが行った小学生がなりたい職業調査の1位に4年連続で「ユーチューバー」が選ばれた。この理由について私は素朴に「ユーチューバーという職業が楽しそうだから」という印象を抱いた。おそらく多くの人は「楽しそう」や「幸せそう」なものに魅力を感じるのではないだろうか。さらにいえば「人をよろこばせる」こと自体が自分の喜びになることも人の本来的な喜びだと思う。事実、23年のランキングの3位と4位はそれぞれ漫画家とパティシエだ。いずれも人を喜ばせる仕事だろう。そして見田の幸福論もここにつながる。「依拠されるべき核心は(…)人によろこばれることが人のよろこびであるという、人間の欲望の構造である」。これが見田の考える幸福の経路であり、連鎖である。換言すれば、自身の幸福を伝播させることに彼は希望を抱いている。「一人の人間が、一年間をかけて一人だけ、ほんとうに深く共感する友人を得ることができたとしよう。次の一年をかけて、また一人だけ(…)同じようにして一〇人ずつの友人を得る。二〇年をかけてやっと一〇〇人の、解放された生き方のネットワークがつくられる」。このような幸福の連鎖を素朴とした上でもなお、見田はこの「充実の連鎖」を花に例える。「一華開いて世界起こる」と。そして、この来るべき百花繚乱の一歩について見田は最後に言うのだ。「今ここに一つの花が開く時、すでに世界は新しい」。この世界への道程の詳細はぜひ本書を読んでもらいたい。