【要約・考察】『友だち幻想』「友だち」でいることが辛い人たちへの励ましの一冊

【要約・考察】『友だち幻想』「友だち」でいることが辛い人たちへの励ましの一冊

菅野仁の『友だち幻想』を十代の頃に読んでいたら、きっと泣いていたと思う。「「友だち」と一緒にいるのに辛いなんて、きっと自分はおかしいんだ」と思っていたから、この本に宿る「大丈夫、変じゃないよ」というメッセージに励まれたはずだ。本論では、そんな素敵な本『友だち幻想』の要約と考察を述べていきたい。


『友だち幻想』の要約と「励まし」

本書の構成は大きく四つに分けることができる。一章と二章では「友だち」という存在を一度「他者」、つまり「自分とは違う考え方や感じ方をする他の人間」という段階まで抽象化し、その存在は、この「私」にとってどのようなものかを考察していく。注目すべきは「他者」を「幸福」の源泉とみなすと同時に「脅威の源泉」としても捉える点だ。ここから「友だち」への考察が始まっていく。


三章と四章はいよいよ「友だち」との交流から生じる「苦しさ」をみていく。「本当は幸せになるための「友だち」や「親しさ」のはずなのに、その存在が自分を息苦しくしたり、相手も息苦しくなっていたりするような、妙な関係が生まれてしまうことがあるのです」。このことの原因について『友だち幻想』では「作法」が変わったからだと説く。「一つには、「親しさを求める作法」がいまだに「ムラ社会」の時代の伝統的な考え方を引きづっているからなのだと私は考えています」。本書では、この考え方からくる関係を「フィーリング共有関係」と呼ぶ。「とにかくフィーリングを一緒にして、同じようなノリで同じように頑張ろう」あるいは「みんな仲良く」とすることに重きを置く関係だ。ここで『友だち幻想』は「ルール関係」をベースにすることを提案する。ただ「ルール」と聞くと、なにやらガチガチな、硬直的な関係をイメージしてしまうだろう。しかし、そうではない。本書は「なるべく多くの人が、最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルール」であり「ルールを決めるときは、どうしても最低限これだけは必要というものに絞り込むこと、「ルールのミニマム性」というものを絶えず意識することが重要」と述べる。「みんな仲良く」ではなく、各々が自由で苦しまない人間関係が作り上げるためのルール作りという提案だ


五章と六章は教員を目指す人や、子どもをもつ親御さんのための章となっている。詳細は割愛するが「子ども」への向き合いが自分の「幻想」の押し付けになっていないか、という点に警鐘を鳴らしていると思う。もし本論を読んでいる人が「教員を目指す人」や「子どもをもつ親御さん」であれば、ぜひ読んでほしい箇所だ。


七章以降は「実践編」というべきだろう。「やはり、関係の作り方のポイントとして、異質性、あるいは他者性というようなものを少しずつ意識して、それを通してある種の親しさみたいなものを味わっていくトレーニングを少しずつ心がけていくことが大切です。最初からというのは無理かもしれないけれど、少しずつ慣れていくのです」。このトレーニングの一環という位置づけではないが、本書では「コミュニケーション阻害語」の使用を意識的に制限することを提案する。この言葉は、簡単に言ってしまえば「関係づくりのバランス」を意識するために必要な「なるべくいろいろな人の言葉に耳を傾けること」が出来なくなってしまうものだと本書にはある。「阻害語」の代表例が「うざい」「ムカツク」だ。「すぐさま「おれは不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を即座に遮断してしまう言葉」と説明がされているが、私なりに言い換えれば、これらは「説明した気になってしまう言葉」なのだと思う。不快に感じたとして、それが具体的にどこなのかという点に目をつむり、相手の存在に丸ごと「ノー」という。なるほど、確かにこれでは「関係づくりのバランス」というものは無いに等しい。さらにいえば、この丸ごと「ノー」という言葉は自分に向けられる可能性もあるのだ。これでは「他者」の一挙一動に注意を払わなければならなくなる。「友だち関係」が息苦しくなるのも当然の話だろう


以上が『友だち幻想』の要約である。だが、このような説明では、本書のすばらしさを伝えきれていないと私は思う。ここでは割愛したが『友だち幻想』は著者である菅野仁さんの周辺のことの話が多く出てくる。そして同時に「他者」という「希望」の話も、だ。これらの話が読者への「励まし」となっていると思う。

そして「子ども」だけになった

十代だった頃はすでに過ぎ去り、「大人」になった今、本書を初めて読んだ。そこで思うのは、かつてこのような人間関係の苦しみを味わった人間でありながら、今では私自身が、そういった苦しみを生む環境作ってしまっているのではないかということだ。本書では『ALWAYS 三丁目の夕日』のような「ムラ社会」が昭和四十年ぐらいまで存在したという。ただ、そのような「ムラ社会」の中にも、様々な「他者」がいたはずだ。私自身、子どもの頃には色々な「大人」が周囲にいた。当時、いわゆる「鍵っ子」だった私はそういう「大人」たちに助けてもらった思い出もある。しかし「企業」が地域から、まずは「成人男性」を取り上げ、次は「パート」として「成人女性」を吸収していった。働き手ではなくなった大人たちは「不審者」というレッテルを恐れ、子どもたちに関わらなくなった。「異質性」が排除された場所に残されたのは「子ども」だけになった。九〇年代からゼロ年代ぐらいまでは、例えばゲームセンターのように「子ども」のなかでも色々な年代が集まる空間もあっただろうが、それも今や風前の灯火だ。そういう環境で育った人たちが、いざ「働き手」として「他者性」の坩堝のような場所(「会社」)に放り込まれれば、戸惑うことは目に見えている。「~ハラ」として多くのことが「ハラスメント」とされるような「反応」も、こういった戸惑いの一つなのではと思わずにはいられない(もちろん糾弾されるべき深刻なハラスメントもある)が、本論の読者はどう思うだろうか。そして二〇一六年に亡くなってしまった本書の著者・菅野仁さんはどう思われるだろうか。


一読者として、かつて十代だった自分からは「子どもだった頃の自分を助けてくれてありがとうございます」、そして今の私から「そういう環境を作ってしまって申し訳ない」という言葉を著者に伝えたい。今の自分は、子どもたちに、いや、かつての自分にどんな解決策を提案できるだろうか。本書を読み終わった今、私はずっとそのことを考えている。