「2ちゃんねる」開設者・ひろゆき(西村博之)の名言

「2ちゃんねる」開設者・ひろゆき(西村博之)の名言

西村博之、あるいは「ひろゆき」という名前を知らない人のほうが今や珍しいだろう。ゼロ年代は「2ちゃんねる」開設者として、二十年代には専門家や評論家に対して舌鋒鋭い論戦を仕掛けるコメンテーターとして、世間をにぎわせている。

さて、紹介したい名言あるいは解答というのは、ひろゆき自身のYouTubeチャンネルにて「若いころにリストカットをした跡に対して、幼い子から「これはなに」と言われたときの対処法を教えてほしい」というものだった。

それに対して彼は「嘘つく必要あるんですかね」と答える。「人間は弱いものであるっていうのは認めてもいいと思うんですよね」。ひろゆきは続ける。

「「自分を傷つけなきゃいけないような嫌なことがあったけど今は全然大丈夫だし、もうそんな気分にもならないけど人っていうのはそういう時期があるよね」ぐらいは別に言っていいと思うんですよね」。

ひろゆきは、質問者のリストカットの原因について考えたうえで、結論を述べる。

「誰一人周りの人に頼れない、とかべつに自分がいなくなっても誰も困らないし、じゃあこのまま現実からいなくなってしまおう、みたいなので多分やっちゃったと思うんですけど、でも別に人はどんなクソ野郎でも頼る人もいるし、一緒にいると楽しいと思ってくれる人もいるよねみたいな所をちゃんと教えて、(…)結果として幸せになったからそういうこともあったよねって話をすれば良いんじゃないんでしょうか」

この話を取り上げたのには理由がある。ひろゆきのコメントに私は、とあるネットアイドルのことを思い出してしまうのだ。彼女の名前は「南条あや」。著作に自身のブログをまとめた『卒業式まで死にません』というものがある。十九歳でこの世を去った南条は、中学生からリストカットをし、それが慢性的になっていた。ブログに書かれていた赤裸々な心情は、同じような悩みと苦しみを抱える人から人気を博していった。そんな彼女の最後は、実質的な「自殺」であった。彼女は、死去する直前次の詩を残している。ひろゆきの分析が的を射ていることを示すため、その一部を載せよう。

「誰も助けてくれない/助けられない/私の現在は錯乱している」

偶然にもひろゆきが「2ちゃんねる」を開設した年は、南条あやがブログを書き始めたときと同じ一九九八年だ。当時のインターネットカルチャーの代表人物だったひろゆきが、南条のことを知っているとまでは言わずとも、インターネット空間がまとっていたアングラ的な雰囲気は熟知していただろう。そんな彼がいう「嘘つく必要あるんですかね」という言葉に、私は「南条あやがもし生きていたら」という想像を働かせてしまう。なぜか、南条もひろゆきと同じような答えを提示していた気がしてならない。南条の過激な文章は、なぜか明るくて、どこか飄々としている。彼女はブログを更新することを次のように謝る。

「今日も日記の方、お休みさせていただきます。体調不良でウグウゴアガガ…ってかんじなんです。今日はとっとと布団に入って眠ります。ではごめんなすって。」

このように彼女は基本的に自身のことをポップに語らう。だからこそ、もし生きてたら質問者に以下のように答えるのではないだろうか。

「「自分を傷つけなきゃいけないような嫌なことがあったけど今は全然大丈夫だし、もうそんな気分にもならないけど人っていうのはそういう時期があるよね」ぐらいは別に言っていいと思うんですよね、私みたいに」。

ひろゆきの解答に滲む優しさは、抱えきれない苦しみを、インターネットのなかでこっそり分け合って、なんとかのらりくらりと一日を生きていた時代のものだと私は思う。生産性や、コスパやタイパなど言葉が台頭していることが示すとおり「のらりくらり」の余白は日々少なくなっていく。けれど、どうにか、色々なものを抱え込んでしまっている人が、数年後には結果として幸せになる、という夢が見られる世の中になってほしいと思わずにはいられない