【要約・考察】『ブルシット・ジョブの謎』クソどうでもいい仕事の謎と罠

【要約・考察】『ブルシット・ジョブの謎』クソどうでもいい仕事の謎と罠

「仕事のための仕事」「会議のための事前打ち合わせ」「ブレストという名の愚痴大会」。これら亡霊のような仕事があなたの周りにもないだろうか。内心では「どうでもいい」「なんの意味がある」と誰もが思っているはずなのに、どこからか発生する謎の仕事。この答えを明かしてくれるのが講談社現代新書から発売されている『ブルシット・ジョブの謎』という本だ。本書は「ブルシット・ジョブ=クソどうでもいい仕事」という概念を用いて、そんな仕事に就く人々のメンタリティ、「ブルシット・ジョブ」を生んだ資本主義の歴史と構造、そして「ブルシット・ジョブ」によるエッセンシャル・ワーカーへの悪影響を解きほぐしていく。もともとはアメリカの人類学者デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』という本があるのだが、如何せん大著だ。それの解説本というのが本書の位置づけである。構成としては全八章。大まかに区切ると一章から三章までは、ブルシット・ジョブの実態とそれによる人々の精神への悪影響、四章から六章がブルシット・ジョブの発生を資本主義の発展から読み解く、いわば歴史編。七章と八章が先程述べたエッセンシャル・ワーカーへの悪影響となっている。ここまでで「お!興味深い!」と思っていただけたら幸いだ。ただし「新書だし、きっとスイスイ読めるだろう」とは思ってはいけない。特に四章から六章については「新自由主義」や「科学的管理法」というワードになじみがないと少し読みにくいかもしれない。そこで本論は次節で、この難所と思われる個所が少しでも読みやすくなるための見取り図を描く。その後ブルシット・ジョブによる人々の心への悪影響という、多くの人が共感できるポイントを紹介して『ブルシット・ジョブの謎』を読もうとする人への励みとしたい。

資本主義の歴史と見取り図

「モーレツサラリーマン」、「バブル時代」、「一億総中流」という言葉が世相を反映していた歴史をもつ日本社会。そこに生きている私たちにとって、社会=資本主義というのは一直線上に右肩上がりに発展、九十年代を境にして再度一直線上に右肩下がりをしてきたようなイメージを抱きがちだ。だがグローバルな視点でみれば、資本主義というのは案外紆余曲折を経ている。本書を読むうえで重要になってくるのが二十世紀に行われた不景気への対策だ。代表的なものとしてはケインズ主義による政策だが端的に説明すると次のようになる。「つまり、政府がみずから公共事業をおこなって雇用を創出する」あるいは「政府が需要を刺激する、すなわち積極的に産業を形成し、投資を活性化させることで、雇用を創出・拡大し、購買力を上昇させ、さらに需要を促進させる」、そして歴史としては「このようなかたちで、第二次世界大戦後のいわゆる高度成長への結実する好循環が生まれます」と成果を出してきた。

だが、この政策による効果が薄らいだとき、もう一つの景気対策が猛威を振るった。日本ではお馴染みの「官から民へ」、すなわち政府や国家による事業は非効率がはびこるとし、民間へ事業を委託するという対策だ。「富裕者をもっと富裕にすればいい。そうすれば、かれらは投資の仕方をよくわかっているから、「雇用創出者」としてうまくふるまうだろう。あるいは、金持ちをもっと金持ちにすれば、かれらがうまくお金をつかって、景気が刺激され、産業が活性化するだろうし、そうすれば雇用も生まれるだろう、という発想」といわけだ。本書ではお金持ちをどんどんお金持ちにすれば、富が下流まで流れるという「トリクル・ダウン」という理論も、先の発想のなかにあると説明している。だが、ここで不具合が生じる。企業は成果や業績、ヒト・カネ・モノなどを数値で示すのが一般的だ。それゆえに、数値化する職業、あるいは数値を管理する職が増殖していく。これらを「中間的管理職階級」とするならば、その増大がブルシット・ジョブの増加につながると本書は述べる。数値の管理、管理のための管理、管理のための管理のための管理、管理のための…。お笑いのような話だが、仕事のための仕事に追いやられる身としては決してお笑いでは済まされないことがわかるだろう。この実例として著者は大学におけるシラバス作成を挙げているが、その内容はぜひ本書で確かめてほしい。

ここから『ブルシット・ジョブの謎』は、このようにして生み出されたブルシット・ジョブによって生じるエッセンシャル・ワーカーの軽視という問題に切り込んでいく。少しだけ述べるとするならば、この「軽視」の原因はブルシット・ジョブによる「やりがいのない仕事」に就いている人たちの嫉妬ということになっている。もちろん本書はさらに深堀をして、そもそも私たち自身は、働くというものをどのように考えているのか、という「嫉妬」の背景にある「働く」ことの観念を歴史から解きほぐしていく。本書は、「働く」というのは本来、価値を創造することであり、誰かの「ケア」は創造的ではないが故に「働く」の本義ではない、と私たちに思わせるような歴史的背景を辿る。その歴史から生み出された「働く」ことへのイメージが、誰かの「ケア」に従事している人々への嫉妬を生み出している。換言すれば「生産的」ではないことは、人間として半人前であるという観念ということになると思うが、いかがだろう。「生産的ではない」=「無価値」。この等式は馴染みこそないとしても、私たち自身が一度は見聞きする考えではないだろうか。いずれにせよ、ここまでで簡単ではあるが、四章から六章が少しでも読みやすくなるための見取り図、つまり資本主義の不景気対策という点は紹介できたと思う。最後に予告しておいた「心への悪影響」という点について簡単に述べよう。

ブルシット・ジョブはおいしい仕事か

無意味で退屈だが、お金はもらえる。世間一般でいえば「おいしい仕事」ということにブルシット・ジョブはなるだろう。だが人生百年時代である現代において、そんな仕事に就き続けることは、働き手にとって負担になる。いや、そもそも私たちは建前であれ本音であれ「仕事とは社会の役に立つこと」だと考えている。ブルシット・ジョブの厄介なところは、「役に立つこと」という理想と、「無意味だ」という主観、そしてお金をもらっている以上「無意味ではないふりをする必要がある」という三つの要素が存在しているところなのだろう。本書では、「ブルシットであることと、「原因となれないこと」、世界に影響を与えることができないことは、自己の危機、自己の存立の危機」としたうえで「役に立てないこと」、そして「他者から課された演技的仕事は、自由の欠如のもっとも純粋な表現」である「ブルシット・ジョブ」による心への悪影響を実際のビジネスマンの例をみながら紹介している。そして次のように強調する「無意味であり、かつそれをあざむかねばならない、しかも、それを強いられることが、人の精神を追い込んでいく」。実際、社員を自己都合退職させるために設けられた「追い出し部屋」が社会問題になったが、これも「無意味な仕事」を延々と強制させられるという実態があった。そのうえで「無意味ではないふりをする」必要があるのだから、当事者の精神的負担は想像するに余りある。もし本論の読者が、このような「無意味さ」による屈辱的な過去や現状があるのなら、本書を手に取るべきだろう。心のモヤモヤを晴らすとまではいかずとも、「なるほど、私たちのいる社会にはこういう力学が働いているのか」というのがわかれば、自己研鑽などの選択肢や今後の身の振り方について考える幅は広がるはずだ。

おまけの提案 次の一冊『世界は経営でできている』

ところで大人気経営学的エッセイ『世界は経営でできている』という本をご存じだろうか。この本はいわば経営=企業のお金儲けという固定観念や価値=金銭という既存のイメージを脱却し、「本来の経営は「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」の実践を人生の様々な場面を例にして紹介していく本である。この本がいわば現代の「仕事」に対して「いや、本当はそうじゃないんだ」という方向を指し示しているのに対して『ブルシット・ジョブの謎』は「どうして、そうなってしまったんだ」と現状を掘り下げるという、いわば真逆の関係性になるだろう。二冊で一冊というのは大袈裟だと思うし、そこまで完全に補完関係にあるわけでもないが、片方だけというのは勿体ない気がしている。『ブルシット・ジョブの謎』でじっくり考えたあと『世界は経営でできている』で理想を作るでもよいし、理想を作ったあとに、それが壊れないよう『ブルシット・ジョブの謎』で現状の「仕事」のあり方に対する原因を探るのでもいいだろう。少なくともそういった読み方ができるというのは最後に提案しておきたかったことだ。