【あらすじ・考察】『かぐや様は告らせたい』世界で一番「愚直」な恋

【あらすじ・考察】『かぐや様は告らせたい』世界で一番「愚直」な恋

「頭悪くなる位人を好きになれるのは幸せな事だよ」という名セリフ・名シーンがあるのは漫画家・赤坂アカによるラブコメ漫画『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』である。ここでは本作の簡単なあらすじと、これがなぜ実写映画化、アニメ三期とテレビスペシャル版まで至るほどヒットになったのかを考察していきたい。
舞台は名門とされる高校・秀知院学園。そこの生徒会長である白銀御行と副会長・四宮かぐやはお互いに惹かれ合っている。しかし高すぎるプライドのせいでお互いが告白できないという状況に陥ってしまう。そのなかで自身の知能を活かし、数々の権謀術数をもって「相手から告白してもらおう」とする二人だが―。


「告らせたい」という逆風

本作の最大の魅力は主人公たちの「変化」だろう。自意識が邪魔をした結果「告らせたい」と思うようになった彼らだが、ここでいう「変化」とはキャラクターの性格や行動だ。主人公たちは言うに及ばず、生徒会会計の石上優、会計監査の伊井野ミコにもそのような変化が見受けられる。その象徴となるセリフが冒頭で述べた「頭悪くなる位人を好きになれるのは幸せな事だよ」だ。いうなれば彼らは恋敵のような存在ではなく、自分自身と戦っている。「告らせたい」としつつも、そのためには決して「ありのままの自分」に甘んずるわけではなく、彼らは勉強、性格、自身の暗い過去から変化しようとするのだ。その変化、相手の意中の人になるための愚直な努力が読者を惹きつけるのであり、本作の画期的な点だ。だが「画期的」という言葉には「少し大げさだろう」と思う人もいるはずだ。この点について、本論は考察していきたい。

ところで、ラブコメにとって「抵抗」や「逆風」は話の大事な要素となる。例えばアニメ放映時期が同じだった『五等分の花嫁』は五人のヒロイン、恋愛アニメの代表作の一つである『とらドラ!』や『CLANNAD』は家庭環境、原作は小説だがゼロ年代の純愛ブームをけん引した『世界の中心で愛を叫ぶ』、十年代のヒット作『君の膵臓を食べたい』、二十年代でいえば映画化もされた小説『桜のような僕の恋人』は病気など。要素としては異なっているものの恋愛を描く作品にとって、主人公たちにとって障害となる要素は必須なのだということがわかるだろう。だが、これほど列挙できるということは、言い換えれば「やり尽くされている」ともいえる。翻っていえば、ここに「フーダニット」のようなミステリ要素や、タイムリープのようなSF要素などを盛り込み、どのように「抵抗」を演出するかが作家たちの腕の見せ所になる。しかし、ハーレム的な要素やSF要素を入れれば、当然のことながら現実とは乖離する。家庭環境に起因する「抵抗」も、家父長制が残る時代であればまだしも、現代ではかなり難しいと思われる(むしろ両親の不在という要素が目立つようになっている)。では、現代のラブコメにとって「抵抗」は、どのように描くべきなのか。それを「告らせたい」と思う自意識としたのが『かぐや様は告らせたい』という作品の画期的な点だろう。

ところで、このような点が読者にとって魅力的に映るのは、私たち自身にとって「変化する」ことが難化しているからではないだろうか。このことについて『スマホ時代の哲学』という本の中で興味深い指摘がある。この本は、他者の視線にさらされることが自分のなかの「多様性」、つまり変化の可能性を見えなくなるとし、次のように語る。「スマホを持ち歩き、SNSを通じて、ほとんど常に他者の目にさらされているのだから、そもそも私たち自身が率先して、自分の多様性を抑圧しているかもしれないという視点に立つ必要があります」。急いで補足すると、確かに『かぐや様は告らせたい』も、意中の人という「他者の目にさらされている」が、『スマホ時代』での指摘はソーシャルメディアという「他者の視線」で自身の「寂しさ」を埋めようと「率先して」他者にさらされ、結果として「自分を一枚岩の存在として捉えて」しまう自分のことだ。『かぐや様』については、「寂しさ」を埋めるために意中の人の視線にさらされようとしているわけではないことには注意を促しておきたい。このように、一枚岩の「自分」になりがちな環境が整っているため「変化」は難化している現代だからこそ『かぐや様は告らせたい』という作品、そのキャラクターたちは読者を魅了するのだ。

「自意識」のラブコメの幕開け

最期に興味深い符号があることに注目したい。『かぐや様は告らせたい』『からかい上手の高木さん』『僕の心のヤバいやつ』はアニメ化に至った人気作たちだが、いずれも自意識を「抵抗」として据えている作品だ。それらの連載時期は2015年、2017年、2018年と時期が集中している。ただし『かぐや様は告らせたい』が描く「抵抗」は自意識と同時に、ヒロインである四宮かぐやが財閥の令嬢という要素、つまり「家庭環境」の抵抗がある。「家庭環境」というラブコメとしては王道だった「抵抗」から「自意識」という「抵抗」。この分水嶺に『かぐや様は告らせたい』は位置しているのではないか。そのような点でも画期的な作品であることは間違いない。本作を読んだことない人、あるいはアニメを見たことがない人には、ぜひ楽しんでほしい作品だ。いや、このようなメタ的な視点を気にせずとも、抜群に面白い作品であることは間違いなく約束できる。