【要約・考察】『世界は経営でできている』人生の経営者になるための必読本

【要約・考察】『世界は経営でできている』人生の経営者になるための必読本

告白すれば「経営学」について私は良いイメージがなかった。冷徹な合理主義、搾取のノウハウの蓄積という印象が先行しているからだ。しかし本書は違う。「本来の経営は失われ、その代わりに、他者を出し抜き、だまし、利用し、搾取する、刹那的で、利己主義の、俗悪な何かが世に蔓延っている」と宣言する。この本が語る「経営」とは他者と自分を同時に幸せにするという「価値創造」だ。しかし、この考えに私たちはこう思うだろう。「「価値創造」とは、つまりお金儲けではないだろうか」と。先んじていえば、その答えは否である。本論では『世界は経営でできている』の概要と、答えの理由、そして「価値創造」の本当の意味を示す。

本当の「経営」とは何か

本書は「経営」的な考えをもって、人生を眺めた場合、どのような答えが得られるのかというのを示したエッセイ本である。それを踏まえたうえで、冒頭の「「価値創造」とは、つまりお金儲けではないだろうか」という疑問について、本書は反対の立場をとっている。そのことは次の文章からわかる。「極端にお金を貯めようとすると、時間の余裕がなくなったり、知識・情報の蓄積ができなかったり、人からの信頼をなくしたりする。お金の面でも心配はなくなっても、常に忙しくて時間の余裕がなくなったり、生きるのに必要な知識・情報が貧弱になったり、人的ネットワークを失ったりするわけである」。このことは実際の企業に当てはめても同じことがいえるはずだ。企業も「次の投資のために」と思い、あらゆる面でコストカットを行う。また効率的な「稼ぎ方」のために熾烈な競争を「実力主義」という名のもと強いてくる。だが、これによって社内の空気が悪くなり、自身の一挙手一投足に神経を使うような職場が出来上がる。その果てにあるのが「パワハラ」や「ブラック企業」という存在だろう。豊かになるための道具であったはずのお金を追い求めすぎて、肉体的にも精神的にも困窮する人を量産するというのは「失われた30年」を知っている私たちであれば改めて説明することでもない。本書にはハッキリと次のことが書かれている。「本来の経営」とは「価値創造」であり、それはつまり「他者と自分を同時に幸せにすること」だと。このような視点を持って、「経営」が陥りがちな罠を確認しながら「恋愛」や「家族」「芸術」まで「人生」の経営者になるための考え方が紹介されている。

手段と目的の経営学

本書が紹介する経営の罠を一つだけ挙げよう。それは次の一文である。「目的に対して現在の手段が適切かどうか点検しなければ過大な手段を用いてしまうことになる」。このことに関する例で、著者は老人のふるまいを挙げている。図書館における新聞の奪い合いを「自分の存在感を相手に認めさせたいがために引き起こされる」とし、居場所づくりに躍起になっていると分析する。そして彼らの考えを次のように言うのだ。「老後をめぐる人生経営の失敗に共通する特徴の二つ目は、思いやりと居場所とを「奪い取るもの」だと勘違いしていることである」。だがここで本書の「経営」的な視点を取り入れると先の考えは一変する。「思いやりと居場所とが限りあるもので、誰からか奪うしかないならば、自分が奪われる側になることも当然ありうる。しかし、本当はそれらを創造することもできるはずだ」。これこそが「価値創造」であり、経営が本当に目指すところであり、本書の背骨でもあるのだ。そう、重要なのは「奪う」ことではない「創る」ことなのだ

奪うな、創れ。

そして、自ら「価値創造」できる人のことをこの本では「経営人」と呼ぶ。もちろん、ここでいう「創造」とは「愛」や「共同体」、「尊敬」なども含まれる。そうであるならば、私たちは「経営」だけではなく「価値がある」ということについても真摯に考えなければならない。「価値」とは「お金」なのか。いや、そうではない。「価値(=誰かにとっての幸せ)」だと本書は強く訴える。だが一方で「金銭も、時間も、関係性も、勉強法も、問題解決も「人生において価値あるものはすべて誰かがすでに作ったもので、有限にしか存在しない」という既成概念に取りつかれると、限りあるものを守るための短期的で局所的な思考/志向に支配されるのである」と警鐘を鳴らす。残念ながらこの「短期的で局所的な思考」は企業だけでなく、私たちの生活にも深く入り込んでいる。そういったものを細かく点検していき、本当の「経営人」になるために、本当に豊かな人生を送るために、この経営本は多くの人に推していきたい