【歌詞考察】Back number『ブルーアンバー』
―涙に名前をつけずに、生きていくという選択―

泣いていた理由を、誰にも言わなかったあなたへ
あなたがBack number『ブルーアンバー』に心を掴まれたのは、きっと「言葉にしなかった感情」が、自分の中にも沈殿していたからだろう。この歌が描くのは、誰にも見せられなかった涙の色、そして“見つけられなかったままの自分”である。
歌い出しの〈抱きしめられた記憶〉は、過去に起きた傷ではなく、「今も残り続けているもの」として現れる。「赤い雫」「青い雫」とは、見えない痛みの痕跡であり、語り手はそれを“誰にも見せるものじゃない”と否定しながらも、否応なく流れ出てしまうことに抗えないでいる。
あなたにも、そうして“滲み出てしまった想い”があったかもしれない。綺麗ごとでは片づけられない感情、誰にも伝えられなかった苛立ち、そのすべてを「宝石になれば」と願って沈めるしかなかった夜が。
この曲に描かれているのは、癒しでも前向きな強さでもない。それでも、壊れかけた心が発する小さな「好き」という祈りが、誰にも知られないまま、確かにそこにあったことを、この歌は静かに証してくれる。
見つけられなかった感情を、そっと肯定する歌
“流れ出す”構造、過去が今を満たしていく
『ブルーアンバー』の歌詞は、明確な物語というより、感情の堆積を描写する静的な詩構造を持っている。時間は前に進まず、むしろ「過去から染み出すもの」によって現在が満たされていく。
冒頭の〈抱きしめられた記憶から/流れ出た赤い雫〉という表現は、過去の出来事が未処理のまま内面に残っていること、そしてそれが“雫”というかたちで外へ滲み出してしまうプロセスを表している。
赤と青、二色の雫。これらは単なる情緒ではない。赤は“傷”、青は“喪失”の感情を象徴しており、語り手はそれらを「人様に見せるものじゃない」と否定しながらも、押しとどめることができない。歌詞全体は、抑圧と流出、沈黙と告白の間を揺れている。
綺麗と言われた涙、そのままの私
「悲しいのは一人で充分だからと/これ以上醜くなりたくないのと」――この一節は、語り手が「他人を悲しませまいとする優しさ」と、「自分の感情を隠すことによる自己喪失」の二重性を示している。「一人で充分」と言いながら、その裏には「一人では抱えきれない」叫びが潜んでいる。
ここにあるのは“孤高”ではなく、“孤立”の肯定である。語り手は「自分の弱さを曝け出すことが醜い」と感じながらも、その感情の濁りを他者に見せたくないという、痛みへの責任感のようなものを抱えている。
「こんな色になるまで泣いていたんだね/綺麗よ」――このフレーズは、歌詞全体でもっとも美しく、もっとも残酷な場面である。「泣き続けた痕跡」を“綺麗”だと呼ぶこの表現には、語り手自身がその涙を価値あるものとして認めてほしいという願望が込められている。
しかしその“綺麗さ”は、他者のまなざしではなく、むしろ「私が私に与える承認」として響いてくる。つまり、「泣いてしまった私」に対する赦しの言葉なのだ。
“醜さすら整える時代”に抗う、透明な歌声
『ブルーアンバー』が描いているのは、“感情を見せることすらマナー違反”とされるような現代の空気に対する、静かな違和感である。SNSでは、感情すらも「整理されて」「意味づけされて」消費される。けれどこの曲は、感情をそのまま沈めることを選ぶ。
誰にも見せず、ただ内側で雫になり、宝石になっていくことを願う。それは「誰かにわかってもらうこと」よりも、「わかられずに生き抜くこと」を優先する、静かな自己保存のかたちだ。
また、「醜くなりたくない」と繰り返す語り手の姿は、現代における“被害性すらも美しくなければいけない”という風潮の写し鏡でもある。『ブルーアンバー』は、その期待に抗うようにして、涙の色をそのまま肯定しようとする歌なのだ。
涙に名前をつけずに、ただ生きていくという選択
あなたが泣いた理由を、誰も知らなくていい。その涙が誰にも見つけられなかったからこそ、あなたは、あなただけの仕方でここまで歩いてきた。
『ブルーアンバー』に描かれているのは、そうした“知られなかった感情”を、否定せずに抱えていく姿である。「綺麗よ」という言葉が響くのは、誰かからの承認ではなく、自分自身が自分の痛みに与えた赦しとして。
あなたにも、うまく言葉にできなかった「傷」や「愛」や「願い」があったかもしれない。それでも、それを誰かにぶつけるでもなく、ただ心の奥で静かに沈めてきた――そういう優しさが、この歌にはある。
「泣いてもいい」「綺麗だよ」――その言葉は、語り手から誰かへのメッセージであり、同時に、あなたがあなた自身に向けて言うべきことだったのかもしれない。
感情に意味を与えず、ただ存在させること。それは時に、愛するよりもずっと難しい。でも、この歌がそっとそばにある限り、その難しさごと、生きていくことはきっとできる。