【要約・考察】勅使河原真衣『働くということ』「能力」という呪縛を解きほぐす

【要約・考察】勅使河原真衣『働くということ』「能力」という呪縛を解きほぐす

「働き方」の改革は、いつ成功するのだろう。今日より素晴らしい明日が来ると信じ、改革という甘い毒を飲み干した私たちに残ったのは、すさまじいプレッシャーと果てない競争によってズタズタになった心と身体だけではないだろうか。私たちは改めて問わなければいけない。「改革」は、なぜ失敗したのか。そして、私たちを惑わせた毒で一体、誰が得をしたのだろうか。勅使河原真衣『働くということ』は、そんな私たちが経験してきた「改革」に対する総括の本であるように私には思えた。本書はいう。私たちは「能力」という呪縛にとらわれている、と。この呪いにとらわれている限り、私たちに約束されているのは「失敗」なのだ。本文では『働くということ』の簡単な要約と、ここで示されている未来の「働き方」について、昨今の「働き方」に関する別の本と絡めて深掘りしていきたい。

「能力」という呪縛

本書は大きく2つに分けることができる。序章から二章までは理論編、三章から最終章までが実践編という具合だ。そのなかでも個人的には理論編がとても興味深い。 その点を紹介する前に、ひとつだけ触れておきたいことがある。「能力」とよばれる概念についてだ。私がそうであったように「能力」という概念を素朴に「個人の技能や生得的な特性」と考えていた。巷では「自己啓発」に関する本が溢れているのだから、私と同じように考える人は多いはずだ。では、この「能力」とは本当はどこまで信じていいものなのだろうか。本書は、この「能力」という神話について挑んでいく。
その闘いの口火は次のような文言で切って落とされる。少々長いが引用したい。

「誰それは報われるべき、誰それは努力が足りない、「能力」が足りない、と序列を明示し、その順にもらいが変われば、生きる糧・豊かな暮らしをしたいおよそすべての人々は、こぞって序列を挙げるために、競うようにして頑張る。統治側にとって、政治責任を追及されるのでもなく、「自助」の前提で頑張り続ける国民が量産できるだなんて、最高すぎます」。

そして、「能力」への疑念を抱えたまま話は「職場」へと移る。「職場での活躍が、個人の「能力・資質」で決まるのならば、個人にこれらを求めるのは当然かもしれませんが、本当にそうでしょうか。「人材開発」や「能力開発:を取りやめ、「組織開発」をしている私からすると、これは労働者に「能力・資質」として求めるものではなく、事業に必要な「機能」の羅列だと考えます」。ここでいう「これ」や「これら」とは「コミュニケーション能力」や「真面目さ」など、私たちにとって素朴に個人の「能力」と受け取ってしまいそうなものを指す。この視点の変換にこそ、本作の魅力が詰まっていると断言できる。
もちろんこの「変換」は「リベラル」な人々の抽象論ではない。そのことを示すために著者自身の経験が語られる。例えば「即戦力」を求める若手部長との面談において、その人は「自分と同じような人」や「優秀な人」を求める。しかし、簡単に「優秀な人」が集まるわけもない現状に、次のような疑問を挟む。「本当は、組織として策を講じるべきところを、個人の能力の問題に矮小化しているのではないか」と。詳細な議論についてはぜひ本書を手に取ってほしいが、以下の一言には痺れるものがあった。「組み合わせの良し悪しこそあれど、個に良し悪しはないのです」。「個」ではない、「組み合わせ」、「関係性」こそ、私たちが直視すべき部分なのだと本書は主張する。

メタ・ビジネス書の元年の記念碑的一冊

私たちは、実は、とんでもない勘違いをしていたのかもしれない。次の文章はそんなことを思わせてくれる。「しかしながら、私たちの社会は、「自立」を目指すばかりに、本来組み合わさってなんぼの人間を「個人」に分断し、序列をつけ「競争」させる――これを学校で、職場で、こと現代はしこたまやりすぎました。そこで生まれたものは、冒頭からお伝えのとおり、大多数の方々の「生きづらさ」に他ならないのではないでしょうか」。

振り返ってみれば、本文の冒頭の「改革」は、どこの誰から発信されたものなのだろうか。その来るべき「改革」の先に示される人間像は、一体、誰にとって得になるものだったのだろうか。誰に命じられ、どこに向かい、なぜ信じていたのだろうか。最初に示した「なぜ失敗したのか」という疑問に立ち戻ろう。ここでいう「失敗」の結果が、私たちの傷ついた心と身体という悲惨なものであるならば、「改革」はそうなるべくしてなったのではないだろうか。あらかじめ裏切られた「改革」だったのではないだろうか。

本書『働くということ』だけではない。講談社新書『世界は経営でできている』や集英社新書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』など、二〇二四年において、ヒットを記録している本は、前述した「裏切り」の予感を敏感にキャッチし「現代はしこたまやりすぎました」という反省から次のステップを見極める作品たちであったように思えてならない。自己啓発でもない、ビジネス書でもない。二〇二四年は「働くこと」を問い直すメタ・ビジネス書の元年というべきだと私は思う。

そう。私たちは、精いっぱい頑張った。
一生懸命働いてきたし、生き残るために必死だった。
でも、疲れた。
本当に、本当に、ただ疲れたのだ。
今度こそ本物の「改革」を引き寄せるために、私たちが私たちを救うために勅使河原真衣『働くということ』は多くの人に読んでもらいたい一冊である。

※当サイトには『世界は経営でできている』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の書評も公開している。そちらもぜひ併せて読んでほしい