【要約・考察】『社会学入門』ようこそ、「関係としての人間の学」の社会学へ!

【要約・考察】『社会学入門』ようこそ、「関係としての人間の学」の社会学へ!

「自分にとってほんとうに大切である問題、その問題と格闘するために全青春をかけても悔いないと思える問題を手放すことなく、どこまでも追及しつづけることの中に、社会学を学ぶ、社会学を生きるということの<至福>はあります」。これは社会学者・見田宗介『社会学入門』の冒頭の文章だ。本書は「入門」であるものの、「社会学」の入門ではなく、前述した「社会学を生きること」、「どこまでも追及しつづけること」の「入門」だと思う。その証拠に『社会学入門』では、統計はもちろんのこと、「どこまでも追及しつづける」ことのとおり、テレビCMや短歌、手記など様々なモノ・コトを分析しながら、現代あるいは日本社会、一人ひとりにとっての幸福と不幸の形、人間の未来について考察していく。本論ではそんな『社会学入門』の要約と考察を行っていく。


『社会学入門』要約

一章と二章は「近代」という時代への考察だ。ここで見田は「近代化」を果たした先進諸国とメキシコやインド、ペルーなどを自身の旅の経験から比較する。例えば「バスを待つ時間」言い換えれば「時間を使う感覚」について考察する。「時間を「使う」とか「費やす」とか「無駄にする」とか、お金と同じ動詞を使って考えるという習慣は「近代」の精神」とし「彼ら」、つまりペルーなどに生きる人たちについて「彼らにとって時間は基本的に「生きる」ものです」と述べる。「時間が「使われる」ものではなく「生きられる」ものであること、だから人生が上滑りしていないということと、関わっているように思います」。この点について、現代日本でも「タイパ」という言葉に象徴されるように「時間」をお金のような感覚で考えることは、当たり前のようになっている。だが、それで果たして充実した人生を生きることができるのか。本章はそんなことを考えさせられる。
三章と四章は、対象を「日本社会」に絞り、時代の変遷を踏まえた上で、短歌やネットアイドル・南条あや『卒業式まで死にません』を手がかりに人生にとっての幸福と不幸をとらえる。見田は「時代の変遷」について、以下のように整理している。「第一に、一九四五年から六〇年代頃までの「理想」の時代。(…)第二に、一九六〇年代から七〇年代前半までの、夢の時代。(…)そして第三に、一九七〇年代の後半からの、虚構の時代」。これらのことの詳細は本書に譲るが、この区分けは様々な社会評論に多く見受けられる。知っておいて損はないだろう。続いて「幸福と不幸」に関して、筆者は家族や共同体の散開、それによる「さみしさ」の発露と「新しい親密圏」を作ろうとする試みを、南条あやの活動にみる。「核の家族の「非在」に向けってとめどもなく注がれる熱情の、中心を失って散開するさびしさの洪水であるもののように、わたしにはみえる」。
五章から考えるのは、人間の未来について。ここで参考にするのは「ロジスティックス曲線」という生命の増え方を示すグラフだ。人間を一つの種族として捉え、グラフから人間の未来を見通す。「ロジスティックス曲線」は三つの位相で表現されており、時間の経過を横軸、縦軸を個体の数として、爆発以前期、大爆発期、爆発以後期と分けられている。このことを踏まえ見田は「近代」という時代が、大爆発期と類似していることを指摘し「現代」について「新しい安定平衡系に向かう力線との拮抗する局面として、未知の未来の社会の形態へと向かう、巨大な過渡の時代としてとらえておくことができる」と分析する。そして更に人類史におきた「革命」、あるいは今まさに起きている「革命」を踏まえつつ、現代を生きる我々が想像できない社会への希望が、本論の最後には書かれているのだ。それは「消費」と「情報」の変容によって、「人間と自然の関係/人間と人間の関係の双方における、<共存する祝福>ともいうべきものを基軸とする世界」であり、「社会の形式と価値の基準と感覚のすべての領域の、転回をはるかに触発してゆくこととなる」未来だ。この大胆な構想が、どの程度の説得力をもつか。それはぜひ、本書を読んで確かめてほしい。

「タイパ」と「コスパ」の彼方の「至福」

自分にとって本当に切実な問題とはなんだろう。例えば、現代は「タイパ」や「ファスト教養」などという言葉があるとおり、何事にも効率化・合理化が求められる。カルチャーを味わうことや、様々なことを知る喜びよりも「時間」に見合うものでなければならない。ただ、私は「それで一体、何がしたいのだろう」という思いを禁じ得ない。「タイパ」「コスパ」という言葉の「パフォーマンス」を求める心情の行きつく先はどこなのだろう。こういう問題を考えないことが、現代をうまくサバイブする作法の一つなのかもしれないが、本書を読むことで、一度立ち止まって考えてみることも必要なのではないだろうか。『社会学入門』という本の狙いも、実はそこにあるのだと思う。「この小さい本をとおして、「人間」と「社会」についての、ひとつの広い視界ともいうべきものが開け放たれてくれるのなら、それだけでいいと考えている」とあとがきにはあるのだから。本書では「社会学」の姿勢について「問題意識を禁欲にしないこと」とある。そうであるならば、本書は「そんなものである」や「考えても仕方がない」という理由で問うことをしなかった問題について「考える」ことの入門だ。そして、そういった「タイパ」とも「コスパ」とも離れた本書だからこそ「生きられる時間」を、いや、「至福」を読書という経験をもって教えてくれる。そんな名著だと私は思う。