【要約・感想】國分功一郎『はじめてのスピノザ』スピノザが問いかける自由の本質とは

國分功一郎の『はじめてのスピノザ』は、17世紀の哲学者スピノザの思想を、現代の重要な視点からわかりやすく解説している。閉塞感が漂う現代において、私たちは一般的に持つ「引き受け」や「自由」の概念を再構築し、別の世界の在り様を思考すべきなのではないだろうか。本書はスピノザの哲学を通して、そのための視座を与えてくれる。
要約
第一章:「組み合わせとしての善悪」
まず、スピノザの「善悪」についての見方を見てみましょう。 一般的には、善とは良いもの、悪いということは固定的に考えられることが多い。 しかし、スピノザにとっては絶対的なものではなく、関係性の中で決まるものだった。そして特に、スピノザにとって「善」とはこの関係性で決まるもののなかでも「私とうまく組み合って、活動能力を高めるもの」を「善」とした。
第二章:「コナトゥスと本質」
この考え方は、「コナトゥス」という概念はこれからもつながっていく。 コナトゥスとは、「自分の存在を維持しようとする力」のことを指す。 人間に限定せず、あらゆるものは自らを維持させようとする力を持っている。だから、スピノザは「自分にとって活動能力を高めるのか」を試し、探求することが重要だとし、「活動能力を高めるもの」を「善」とした。そして、この試みこそが、スピノザの言う「自由」につながる。どういうことか。
第三章:「自由へのエチカ」
スピノザにとっての自由は、自由選択の自由とは異なる。現代では「自由」という言葉は「自分の好きなように選ぶこと」としてよく理解されているが、スピノザは「能動的になること」こそが自由だと考えた。そして、この自由を得るために、「試み」や「実験」を繰り返し、自分自身を変えていく必要がある。スピノザの自由は現代における「自己責任論」の震源地となっている「自由」とは違う。スピノザは、自由を「状況」としての判断のではなく、「プロセス」として考えた。 「自由なのだから自己責任で生きろ」というような新しい自由主義的な考え方とは対極にある。
第四章:「真理の獲得と主体の変遷」
このようなスピノザの考えは、彼の生きた時代の背景も深く充実している。本書は、スピノザを「もう一つの近代」の哲学者として位置付ける。彼が生きた十七世紀とはまさに「近代」の土台が築かれた時代だからだ。だからこそ、というべきだろうか。時代の狭間に生きた彼の哲学には「本体の変化」という視点が刻まれている。彼にとって学ぶことや知ることは、認識の当面ではなく、自己を鍛錬し、より自由になるためのプロセスだったのだと本書は紹介する。
そして、この考え方は、AIが人間の仕事判断を代替しつつある現代においても重要な示唆となっているのだろう。AIが正解を提案してくれる時代において、スピノザのように「自分を変えること」こそ求められるのではないか、と本書は語る。
第五章:「神の存在と精錬の道」
最後の章では、この「自己鍛錬」の重要性が追加強調される。
『はじめてのスピノザ』は、スピノザ哲学の難解さを解きほぐしながら、その本質を現代の問題と絡めてわかりやすく説明しているのは、これまで見てきたとおりだ。コナトゥスを見通し、それを鍛えることによって、私たちはより自由に生きることができる。このスピノザの考えは、概念哲学の議論に終わらず、現代に生きる私たちがどのように自己を高め、より良い人生を歩むかという問いにも深く関わるものなのだ。
感想
便宜上、こういった人文書における時代やブームを区分するならば、ゼロ年代はサブカルチャー批評の時代、一〇年代はネット右翼や震災などを契機とした政治批評の時代だろう。 では二〇年代とはどのような時代か。
私は「生活」批評の時代だろうと思う。いや、そうであってほしいと思う。
明晰な理論では割り切れない、インターネット革命からは遠く離れた現代では、「生活」という次元を改めて組みなおす営みが行われているのではないだろうか。
その流れのなかに『はじめてのスピノザ』を位置づけたい。本書を読めばわかるように、この小本の始点は、社会の不透明さではなく、私たちの「生」にある。善と悪の判別の困難さ、故の「組み合わせ」という思考、「自由」という永遠なるユートピアではなく、そのプロセスを真摯に見つめるまなざし。そして新自由主義に彩られた「自己啓発」ではなく「自己鍛錬」という道。私には、この羅列が「生活」の組みなおしのように感じる。
善も悪も決めきれず、自由というユートピアは存在しない。すべての判断に「客観的・科学的根拠」があるわけではない、ただ「昨日」と「明日」を結び付ける「生活」のなかで「よりよく生きるには」という問いが本書の通奏低音だ。
私は本書が世に出るべきタイミングで出現したのだと思う。
二〇二〇年に出版された本書のあとには、岸政彦『東京の生活史』がじんぶん大賞を受賞し、村上靖彦『客観性の落とし穴』や三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がヒット作となったことは記憶に新しい。私たちは、自覚的にしろ、無自覚的にしろ、「生活」を組みなおしたいのだと思う。
そういった文脈からしても本書は、今でも多くの人に読まれるべきなのだろう。私たちの「生活」への思考が誤った方向に向かわないよう本書はいつでも指針となりうる。