【歌詞考察】RADWIMPS『前前前世』運命か、執着か。ホントは怖い大ヒット曲

【歌詞考察】RADWIMPS『前前前世』運命か、執着か。ホントは怖い大ヒット曲

メガヒット映画『君の名は』の挿入歌として、多くの人が知っている曲RADWIMPS『前前前世』。アップテンポな曲調やボーイミーツガールのアニメ映画に使用されたことから、爽やかな歌として認知されているはずだ。

しかし、ある補助線をひくだけで、この曲は恐ろしく怖い内容に変貌する。

結論を言おう。この曲は、ストーカーの歌に聞くこともできるのだ。さっそく確認してみよう。

なぜ、ストーカーの歌のように聞こえてしまうのか。その理由は冒頭にある。

「やっと眼を覚ましたかい/それなのになぜ眼も合わせやしないんだい」。ここはいい。何かしらのワケがあって、視線が重ならないこともあるだろう。しかし問題は、これに続く歌詞だ。「「遅いよ」と怒る君/これでもやれるだけ飛ばしてきたんだよ」。

考えてみれば、実に妙な状況だ。「眼を覚ました」と確認できるまで近い距離にいる関係性にも関わらず「遅いよ」というのはどういうことだろうか

考えられるとすれば、この曲の「僕」は「君」の一挙手一投足を確認できるが、「君」から「僕」は全く認知できない、というものではないだろうか。つまり「遅いよ」と怒られたのは「僕」ではなく、別の誰か。そして、そのような状況にも関わらず「僕」は「遅いよ」という怒りが自分に向けられたものと妄想しているのだ。

「僕」はずっと「君」のことだけを歌い続ける。一方で「君」から「僕」に向けられているはずの行為や言葉は冒頭の「怒る」を除けば、一切登場しない。それどころか「僕」はさらに「君が眠っていた間のストーリー」を知っている。「僕」は一方的に「君」のことを知っているのだ

また「遥か昔から知るその声」にも関わらず「生まれてはじめて/何を言えばいい」と不可解な逡巡がみられる。

しかし、これを百歩譲って、強烈な片思いとしてみることはできるのではないだろうか。個人的に答えは「否」である。繰り返しになるが、これはストーカーの歌のように聞こえてならないのだ。

特に「もう迷わない/また1から探し始めるさ」や「君は僕から諦め方を奪い取った」という独りよがりな決意などは、狂気的と言わざるをえないのではないだろうか。

いささか短い論考ではあるけれど、もはや語るべきところはないだろう。純愛や運命的な恋の曲のように聞こえるが、一歩間違えれば強い執着を示しているように思えてしまうのは、筆者がひねくれすぎているからだろうか。

私も当初は、本曲を素敵な曲だと思っていたし、この曲が上述のように聞かれることなどクリエイターも想定外に違いない。しかし、上述のように感じるようになったのは知らず知らずのうちに価値観が変わったせいである気もする。だが、そのように変わってしまったのも、社会の常識自体が徐々に変化してしまったことを示している、と断言するのは難しいだろうか。その答えは、改めてこの曲がどのように聞かれるようになるのか。歴史が教えてくれるだろう。