【マンガ考察】「NANA」が映した古い女性像──「リアル」の仮面をかぶった、時代に逆行した物語

【マンガ考察】『NANA』が映した古い女性像

―「リアル」の仮面をかぶった、時代に逆行した物語―

存在証明 アイキャッチ

導入|なぜ、彼女たちは「戦う」のをやめたのか?

2000年代前半、矢沢あいの『NANA』は爆発的な人気を博し、少女マンガの地平を一変させたかのように見えた。性愛、妊娠、夢と挫折──それまでのファンタジックな恋愛譚とは異なり、現実に即した「痛み」のなかで生きる若者たちの姿は、同時代の読者の共感を強く呼び起こした。だが、その表層の「リアルさ」とは裏腹に、この物語が描いていたのは、むしろきわめて古典的で保守的なジェンダー観ではなかったか。

主人公・小松奈々は恋愛を最優先し、キャリアや社会的自立への関心は薄い。妊娠をきっかけに家庭へと吸収されていく彼女の姿は、「母になること」が女性の完成であるという神話の再演である。他方、夢を追う大崎ナナもまた、恋人との関係や社会的評価に翻弄され、主体的な道を貫くことは難しい。感情的で泣きやすい女性たちと、理性的に行動する男性たち──その対比は、ステレオタイプ的な性役割を強く補強している。

『NANA』は「戦う少女」の時代を終焉させ、「耐える女」「支える母」への回帰を物語る作品だったのではないか。本稿では、『NANA』に描かれた女性像とジェンダー表象を読み解き、なぜこの保守的な世界観が多くの読者に支持されたのかを考察する。

1. 「働くこと」より「愛されること」──小松奈々に見る女性役割の理想形

小松奈々の生き方には、一貫して「誰かに愛されること」への執着が見られる。彼女は進学や就職といった社会的行動の動機を、恋人との時間を確保するために位置づける。「販売と違って土日が休みだったから、章司と一緒にいられる時間を少しでも増やせると思った」と語るその選択は、仕事が自己実現の場ではなく、「恋愛の延長線上」にあることを示している。

しかし彼女はその仕事も真剣には取り組まない。コピー取りや雑務への不満を口にし、職場に期待したのは「ときめき」であり、職務遂行ではない。その結果、解雇されても本人はほとんど動揺しない。むしろ彼女の「人生の本番」は、人気バンドのリーダー・タクミとの妊娠と結婚によって始まる。経済的な不安から解放され、広い部屋と十分な生活費を得た奈々は、専業主婦として「与えられる側」に落ち着いていく。

注目すべきは、彼女がこの状況を疑問視しないどころか、むしろ理想としている点にある。「べつにやりがいのある仕事なんか見つからなくても、愛する人のために毎日ご飯作って暮らせたら、それが一番幸せ」という独白は、職業的自己実現よりも家庭内での承認に価値を置く価値観を端的に表している。

奈々の存在は、ゼロ年代における「幸福な女」のテンプレートを提示する。それはキャリアの達成ではなく、「誰かに必要とされる存在」として、穏やかに家庭に収まる女性像である。『NANA』が描く現代的リアリズムの皮をかぶりながらも、実のところ戦後的な「良妻賢母」イデオロギーの延命装置として機能しているのが、このキャラクター造形なのである。

2. 自立と依存のはざまで揺れるナナ──「夢を持つ女」はなぜ報われないのか

大崎ナナは、小松奈々とは対照的に「自立する女性」として造形されている。親に捨てられ、天涯孤独の身である彼女は、バンド活動を通じて自らの居場所を築こうとする。物語序盤では「レンに抱かれることだけがあたしの人生じゃねえんだ」と語り、恋愛よりも音楽で食べていくという強い意志を見せる。奈々が「誰かに愛されること」に生の軸を置くのに対し、ナナは「自分の力で立つこと」を希求している。

だが物語が進むにつれ、ナナのその意志は次第に侵食されていく。バンドの成功が保証されているわけではなく、生活費すら自力では賄えない状況のなか、彼女のまわりには恋人のレンやファンの美里のような「支援者」が現れる。新しいギターも、服も、経済的には誰かから「貢がれた」ものである。こうした構造は、ナナの自立が徹底されていないこと、むしろ周囲との関係性のなかで保たれていることを露呈している。

さらに彼女の夢は、恋愛と両立できないものとして描かれる。レンとの関係が深まるにつれ、彼女は「歌で飯を食う」未来を次第に諦めていく。恋人のレンは避妊をしない。ナナがピルを飲んで自己防衛する一方、レンは「子どもができたら育てればいい」と軽々しく言う。ここにおいても、ナナの人生設計は男性の願望や態度によって左右される。彼女が家に帰っても食事を作る役割を担い続けるように、「夢を見る女」は、家庭においても社会においても、結局は「支える側」に収まっていく。

このようにナナは、奈々のようにあからさまに「愛される女」にはなれず、しかし「戦う女」として生きることも許されない中間地帯に置かれている。彼女がどれだけ夢を掲げても、物語世界がその夢の実現を肯定的に描くことはない。『NANA』は、夢を持つ女性がどこまでも孤独に、報われることなく苦悩し続ける姿を「美しさ」として描き出している。だが、それは果たして希望の姿なのだろうか。

3. 「泣く女」と「判断する男」──感情と理性の分業構造

『NANA』における女性キャラクターたちは、感情を抱え込み、泣き、揺れ動く存在として描かれている。対照的に男性キャラクターは、契約を取り付け、問題を処理し、現実的判断を下す「理性の化身」として描かれる。このような感情と理性の分業構造は、ジェンダーによる役割の固定化と深く結びついている。

特に顕著なのが小松奈々の「泣く」頻度の多さである。第2巻だけで38回という回数は、10ページに1回女性が泣くという既存の少女マンガの傾向をはるかに上回っている。しかもこの涙は、恋愛の不安、仕事への不満、自分の無力感など、常に他者や環境に対する受動的な感情から流される。感情を処理し、合理的に立ち回る力を与えられていない奈々は、「泣くこと」によってしか世界と向き合う術を持たないのである。

一方、男性キャラクター──タクミ、ヤス、レンらは、プロデュース契約の締結、記者への対応、バンドの方向性の決定といった、社会的交渉や制度的枠組みに関わる場面で中心的役割を担う。例えば、ナナの所属するバンド・ブラストのメジャーデビューに際して、条件やタイミングを判断するのはヤスであり、メンバーのノブが疑問を呈しても「負けたくねえんなら、したたかになれ」と一蹴する。その判断の正当性は問われることなく、むしろ「理性的な男の言葉」として物語内で正当化されていく。

こうして、男性たちは「理性=判断」「社会=交渉」の回路を通じて物語を駆動する存在として配置され、女性たちは「感情=涙」「家庭=癒し」の領域に閉じ込められる。これは単なるキャラクターの性格づけではなく、作品全体に通底する構造的なジェンダー設計である。

そして、こうした構造が最も露骨に表れるのが、性行為の場面における「拒否できなさ」である。奈々がタクミからの性行為を拒んだにもかかわらず、それが「彼の苛立ちを収めるため」に容認されてしまうシーンは、女性の意志が感情にすり替えられ、理性ある判断としては扱われないという世界観を象徴している。

『NANA』のなかで、女性たちは泣き、慰め、支える存在であり、男性たちは決断し、引っ張り、導く存在である。この構造が、読者にとって「自然」に見えてしまうのだとしたら、それこそが本作のイデオロギーの巧妙さに他ならない。

4. 「母になること」だけが女性を救う──妊娠による人格の変容

『NANA』において、最も象徴的に描かれる価値観のひとつが「母性の絶対化」である。小松奈々は、妊娠をきっかけに人格が一変する。それまで何かあればすぐに泣き喚き、感情の制御もままならなかった奈々が、妊娠後は次第に落ち着いた態度を見せ、他者に対して自分の意見を明確に述べるようになる。物語前半において描かれてきた「子どもっぽい女」は、母になることで初めて「一人前の女」として認識されはじめるのである。

この変化は泣いた回数の推移にも表れている。第2巻で38回も涙を流していた奈々は、妊娠が明らかになる第8巻以降、次第にその頻度を減らしていく。奈々のキャラクターは、妊娠という出来事を通じて「成長」し、「成熟」したとみなされる。だがこの「変化」は、個人としての内面の深化ではなく、「母親になる」ことでのみ認められる変化である。

この文脈で特筆すべきは、奈々が妊娠によって、タクミとの非対等な関係すらも受け入れてしまう点である。彼が避妊をせず、暴力的に性行為を迫ったとしても、それを拒絶することなく、むしろ「自分に責任がある」と引き受けてしまう。妊娠によって得られる「安定した家庭」が、彼女にとって唯一の希望であり、その代償として自己をすり減らすことさえ受け入れるのである。

一方で、妊娠や母性に対して違和感を抱く女性たちは、「不完全な存在」として描かれる。ナナは自分が子どもを愛せるかどうか分からず、「母性本能って、誰にでもあるものなんですか?」と問い、不安を抱える。音楽活動に夢を託す彼女にとって、出産と子育ては「足かせ」であり、「幸せ」ではない。しかし、物語世界はその立場を積極的には肯定しない。ナナの葛藤はいつまでも報われることなく、周囲の共感も得られない。

この構図は、作品が掲げる一貫したイデオロギーを露わにする。すなわち、「女性は母になって初めて一人前である」「子どもを愛せない女はどこか欠けている」という、極めて保守的な価値観だ。しかもそれは、奈々のような存在によって裏打ちされていく。彼女は決してヒロイン然として振る舞うわけではないが、その「普通さ」と「母性」が、他のすべての女性像に対して「理想」の基準として立ち現れる。

『NANA』における妊娠と母性の描き方は、女性の「救済」が社会的な成功や夢の実現ではなく、「他者のために尽くすこと」にあるという価値の再定義を行っている。そしてその先には、「泣かなくなった女」「怒らない女」「愛を与える女」としての肯定が待っている。女性が肯定されるためには、他者のために自分を明け渡さなければならない──それが、この作品の静かな命題なのである。

5. 家族幻想の再生産──理想的な母、欠損した家庭

『NANA』には、親を欠いたキャラクターが多数登場する。ナナ、レン、タクミ、シン──彼らはいずれも機能不全の家庭や孤児の出身であり、その生い立ちは彼らの性格や恋愛観、そして他者との距離感に大きく影を落としている。たとえば、レンは避妊を拒み、「子どもができたら育てればいい」と軽く言うが、それは彼自身が「家族」という形を渇望している裏返しでもある。

対照的に、奈々は数少ない「理想的な家庭」の出身者として描かれる。両親と妹に囲まれた温かい家庭。母親は美人ではないが常に笑顔を絶やさず、家庭料理を提供し、奈々にとっては「理想の母親」そのものである。ナナやタクミといった、傷ついた過去を持つ人物たちは、奈々の家庭に触れるたびに「理想の家族」を垣間見たような反応を示す。

興味深いのは、この「家庭」のイメージが、意図的に平凡である点だ。「遊園地」「運動会」「キャッチボール」といった、テレビドラマのような日常的幸福が理想として語られ、それを目指すことがキャラクターたちの内的モチベーションになっていく。家庭は決して驚くべきものではなく、むしろ「当たり前のことが当たり前にある」ことこそが尊ばれている。

これは単なるノスタルジーではない。むしろ、家庭の欠落によって心に傷を負ったキャラクターたちが、「普通」を手に入れたいという切実な願望を抱えているという構造だ。そしてその「普通」は、必ず女性によって支えられる。食事を作り、空間を整え、子どもを愛する──その役割はすべて女性が担い、男性はその家庭を「与えられる」側として享受する。

ナナが「歌えなくなってもレンの子どもを産んで、毎日ご飯を作って暮らせれば、それも幸せかもしれない」と語る場面は象徴的である。彼女の夢である音楽が、家庭とトレードオフの関係に置かれていることを明確に示している。そしてその「葛藤」こそが、『NANA』の中で女性たちが抱え続ける最大のジレンマである。

結局のところ、『NANA』は母性を持つ女性だけが「成長」し、「肯定」される物語である。子どもを育てる、家を守る、夫を癒す──それが果たせない女性には、幸福も安定も訪れない。家族という幻想は、そうした保守的な性別役割に乗って再生産されていく。そして読者たちは、その幻想のなかに、どこかで自らの「理想」や「救済」を見てしまうのである。

結論|「リアル」の仮面をかぶった、ジェンダー幻想の物語

『NANA』は一見、時代の先を行くリアルな青春群像劇のように見える。登場人物は複雑な恋愛関係に悩み、性愛や妊娠といったテーマが物語の中核を占め、少女マンガの定型を逸脱した構造を持つ。だがその内実は、極めて古典的で保守的な価値観に貫かれている。そこに描かれるのは、女性が家庭に収まり、母となることでようやく肯定される世界であり、夢を追い、主体的に生きようとする女性は、報われることなく揺れ続ける。

奈々は妊娠を通じて人格を「成長」させ、「母性」という正当性を獲得していく。ナナは音楽に賭けるが、結局は恋人との関係に飲み込まれ、「夢」と「家族」が両立不可能であることを突きつけられる。『NANA』は、「戦う少女」の時代に幕を引き、「耐える女」「支える女」こそが幸福になれるという神話を、洗練されたキャラクター造形とドラマ性で包み込む。そしてその語りは、「家庭こそが再生の場である」というイデオロギーと強く結びついている。

本作が熱狂的な支持を受けたことは、こうした価値観が読者たちの感情や願望と深く共鳴していたことを示唆している。恋愛がうまくいかない不安、仕事と家庭の両立に対する焦燥、自分の存在を誰かに必要とされたいという渇望──そうした「現代のリアル」が、保守的な構図のなかで語られたからこそ、物語はより親密に感じられたのだろう。

少女マンガはしばしば、女性たちの願望を映し出す「感情の鏡」となる。『NANA』において映されたものが、女性の自己実現ではなく、「誰かのために尽くすこと」への帰依であったとすれば、それは単にマンガの問題ではなく、ゼロ年代以降の日本社会が抱えるジェンダー的な気分そのものなのかもしれない。

母性と家族という穏やかで温かな構図の裏に、女性を役割へと閉じ込める力が潜んでいる──『NANA』は、その構図に無自覚に身を委ねながら、多くの読者に「これは私の物語だ」と思わせる力を持っていた。その魅力と危うさを、私たちは今あらためて見つめ直す必要がある。

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