【歌詞考察】『モニタリング』は「奥手」な曲? 令和のヤンデレの実像に迫る!

【歌詞考察】DECO*27『モニタリング』

「奥手」な曲? 令和のヤンデレの実像に迫る!

DECO*27のボカロ曲『モニタリング』は、2024年12月に発表された楽曲だ。この曲は、他者に対する欲望や恋心をテーマにしたものであるが、本曲の結末などの解釈をめぐって、リスナーに活発な議論を巻き起こしている。

なるほど。たしかに『モニタリング』は、一見するとヤンデレ的な楽曲である。特に出だしの「ねえあたし知ってるよ/きみがひとりしてるの知ってるよ」はMVの絵柄も相まって、ヤンデレな女の子の存在を示している。

しかし、従来のヤンデレとは異なり、その在り方には受動性が際立つ。過去のヤンデレ楽曲やキャラクターと比較すると、そこには時代ごとの恋愛観の変化が映し出されている。本論では歌詞の意味を考察しながら、その映し出されているものが何なのかを示していきたい

1. ヤンデレの受動化と時代背景

まずは、この曲が「奥手」だという点をみていこう。『モニタリング』における語り手は、「いつだって参上」と宣言しながらも、「名前を呼んだら」という条件がついたり「いつも見守ってる」と言うに留まっている。これは、主体的に行動するのではなく、相手の合図を待つ姿勢を示している。また、「ねえいいでしょう」という表現も許可を求めるような態度であることは明らかだろう。なにより歌詞には「何度だって受け止めてあげる」とある。『モニタリング』が「ヤンデレ」風でありながら、あくまでも「受動的」であり「奥手」であるのは、これで明らかだろう。

一方でヤンデレといえば、『ひぐらしのなく頃に』や『スクールデイズ』のように、積極的かつ攻撃的なキャラクターが思い浮かぶ。彼女たちは「好きな人を手に入れたい」「奪いたい」という欲望を直接的な行動で表現していた。2010年代になっても、あいみょん『貴方解剖純愛歌』には同様の傾向があった。

先程述べたような「奥手さ」は、同じく令和の楽曲である『ヨワネハキ』にも見られる。ここでも主人公は自発的に行動することなく、付和雷同的に流される姿が描かれている。『モニタリング』と『ヨワネハキ』は確かにテーマこそ違うが、語り手たる存在の積極性が後退し、より受動的な存在へと変化していることを示唆している。

2. 「推し文化」とヤンデレの変容

この変化の背景には、現代の「推し文化」が影響している可能性があるのかもしれない。『モニタリング』も、その影響を受けている。本曲の主人公もまた、「推し」としての在り方に近いのだ。実際、歌詞の中には「きみを推すことをやめない」とある。彼女は相手を見つめ、支えようとするが、直接的なアクションには踏み込まない。あくまで「モニタリング」しているだけだ。この点で、冒頭で挙げたあいみょんの『貴方解剖純愛歌』のように「あなたを壊してでも手に入れたい」と願う過去のヤンデレ像とは明確に異なる。

かつてのヤンデレは、「好きな人を独占したい」「奪いたい」という欲望を抱えていた。しかし、現代の「推す」という行為は、あくまで受動的なものだ。応援し、見守ることはできるが、直接的に相手の人生に干渉することはない。

3. 恋愛観の変化と干渉の忌避

さらに、恋愛観の変化もこの受動的なヤンデレ像の形成に寄与していると考えられる。例えば、漫画『アオのハコ』は、恋愛を扱いながらもエロティシズムを極力排除している作品だ。従来、恋愛とエロティシズムは切り離せない関係にあったが、現代の恋愛作品では「エモさ」や「感傷的な共鳴」が重視される傾向にある。その結果、暴力や性のように、直接的に相手に干渉する表現は忌避されるようになったのではないだろうか。

また、映画『流浪の月』では被害者と加害者、恋人、疑似家族、漫画『こういうのがいい』では性的なパートナーと自己規定しない、といった既存の枠に当てはまらない「透明な関係」が描かれる。このような関係性が注目されること自体、現代の恋愛が明確な定義を求めず、より曖昧で干渉を伴わない形へと移行していることを示している。

4. 結論――ヤンデレの受動化は時代の写し鏡

『モニタリング』のヤンデレ像は、単なる個別の変化ではなく、現代の恋愛観の変遷と密接に結びついている。ヤンデレはもはや相手を奪い、支配しようとはせず、見守り、応援し、そして許可を求める存在になった。これは、恋愛における「直接的な干渉を避ける傾向」とリンクしており、現代の恋愛観が「エモさ」を重視し、関係性のあり方をより曖昧にしていることの表れである

この変化が今後どのように進んでいくのか。ヤンデレという表現がさらに変容するのか。それとも、新たな能動的なヤンデレ像が登場するのか。『モニタリング』に秘められた「奥手さ」は、令和の恋愛観の特徴を映し出しながら、次の時代の表現の行方をも示唆しているのかもしれない。