【歌詞考察】メル『さよなら、花泥棒さん』

【歌詞考察】メル『さよなら、花泥棒さん』

それでも会いたい人がいる。そんな恋のための罪の歌

全ての恋が「綺麗」なわけではない。「普通」の付き合い方がわからない人もいる。これら「綺麗」や「普通」を定義することは難しいけれど、例えば、何かしらの罪のように、人に言えないことを共有してしまうことや、終わりがあらかじめわかってしまっていること、死の予感が常に漂っている恋は、多分「普通」ではないし「綺麗」でもないだろう。でも、そういう毒々しい恋は、いつの時代も人々をなぜか惹きつけるし、やっぱり「普通」に合わせることができず「綺麗」に違和感を覚えてしまう人もいる。メルの『さよなら、花泥棒さん』というボーカロイド曲は、そういう人のために歌われたものだと思う。

一方で、この曲には大きな謎がある。タイトルの「花泥棒」は何者か、ということだ。本文では歌詞の意味を丁寧に読み解いていくことで、この「謎」に答えるとともに、本曲の魅力を語っていきたい。

まずは歌い出しをみていこう。「最低な恋をして曖昧に終わるんだ 案外さそれだけで幸せなのかも」。本曲を読み解くには、ここの「最低」がどういう意味かを確認しなければならない。

「最低な恋」というからには、一般的な感覚として、恋をした相手に精神的にしろ、身体的にしろ、傷つけられたような経験のことを言うのだろう。けれど、どうやらそうではないらしい。なぜなら、曲には「最高な君」という歌詞があるからだ。ではなぜ「最低な恋」なのだろうか。おそらく、これは本曲の視点に問題がある。

僕たちは「最低な恋」という意味について「(主観的な意味で)最低な恋」と読んでいた。けれど辻褄を合わせるならば、この意味は「(客観的な意味で)最低な恋」だとするとどうだろう。こう考えれば「(主観的な意味で)最高な君」という歌詞に矛盾しない。

しかし、この考えにも問題がある。「(客観的な意味で)最低な恋」とはどういう状態のことだろう、ということだ。この点についてはタイトルがヒントになる。「花泥棒」だ。そして歌詞の中にも「花をもぎ取って」や「花を盗もうぜ」という一節がある。このことを抽象的に考えると、この「盗む」というのは冒頭で示したような「人に言えないこと」ではないだろうか。強い言葉を使うならば「罪」と言っていいだろう。だからこそ「(人からみれば)最低な恋」なのだ。

そして、ここからが面白い。この歌の視点を有している「最低な恋」をした人は、なぜ、そんな恋をしてしまったのか。歌詞にはこうある。「最低な人生で簡単に終わるんだ 案外さそれだけで幸せなのかも」。これは文字どおり受け取っていいだろう。恋をした人は「最低な人生」だったのだ。これは決して軽い言葉ではない。歌には繰り返し「生きている気がしている」というフレーズが登場する。これだけで伝わるだろうか。想像するに、この恋をした人の人生はおよそ幸せとは無縁で、生きた心地がしないようなものだったのだろう。この視点の人物は、この恋を通じて「生きている」を感じる。そう。この曲は、恋がテーマであると同時に心の再生も歌っているのだ。例えば次の歌詞。「2人は眠る 汚したシーツで」。注目したいのは、「汚れたシーツ」という点だ。「汚れた」ではなく「汚した」。自分たちが「汚した」のだ。なぜ、ここを強調したのか、それは読者の想像にお任せしたいが「最低な人生」を送っていた人が、このようなことができるまで心が回復したのだ。もちろん、この後には「生きている気がしている」と歌詞は続いている。

けれど、この恋は終わるが明示されている。「最低な恋をして曖昧に終わるんだ」や「平凡な毎日も数年で終わるんだ」とあるように。おそらく、思いがけない形での「終わり」だったのだと想像できる。「曖昧に終わる」ことや「数年」と明確にわかっていること。この2つをつなぎ合わせるのであれば、曖昧な終わりというのは、別れの言葉が示されない終わり方である一方で、それが数年とわかるのは、それが何らかの形で予告されているか、今の生活が薄氷を履むようなものであるからであろう。さらに曲名の「さようなら、花泥棒」という点を踏まえれば、例えば、次のような想像ができる。

恋をしていた相手(花泥棒)は逃亡中であり、かつ大病を患っていた(=病院に行けない)ことが暗示されているのではないだろうか。そして、この「花泥棒」はおそらく、結果として亡くなってしまったのだ。「最高な君だって簡単に死んじゃうし」という歌詞がその証左だ。

そういうふうに恋の相手の素性を想像するのであれば、本曲の最後にある「花を盗もうぜ」という独白のような歌詞にも2つの説明ができると思う。

この「花を盗もうぜ」という詞の前には「私たちもう1度やり直せるかな?」や「ほら見て春がきた」というセリフのような言葉がある。これが恋をした人の回想だと考えることもできるだろう。しかし「もう1度やり直せるかな」という詞に違和感がある。さらに言えば回想とする根拠が歌詞の中に見受けられない。

そうであれば次のように考える方が自然ではないだろうか。

恋をした人にとって「盗む」ということが「私」と「花泥棒」を結びつけるものだった。ここで「もう1度やり直せる」という言葉を死別した「花泥棒」との再会を望む心の声だとすれば、「花泥棒」に会うため「花を盗もう」とする
私自身が「花泥棒」になる
「盗む」ことで、自らの心の中に生きている「花泥棒」と再会できる。誰にもいえない「最低な恋」の核心は、もはや、祈りのような行為となったのだ。

いかがだろうか。本曲は、一見すると悲恋をポップに歌っている強がりな曲だという印象を抱いてしまう。しかし、その歌詞の意味を丁寧に紐解いていくことで、長大な恋愛小説のような深みのある作品であることが明らかになったと思う。悲しい恋をして、前を向くことができそうにない時、嘘でもいいから少しだけ気分を軽くしたい時は、こういう曲が案外、私たちの心に寄り添ってくれたりするのではないだろうか。