【歌詞考察】黒うさP『千本桜』大ヒットボカロ曲が映す理想化された日本の虚構性

【歌詞考察】黒うさP『千本桜』

大ヒットボカロ曲が映す理想化された日本の虚構性

大ヒットボカロ曲が映す理想化された日本の虚構性

『千本桜」』といえば、ボカロ曲を聴く人であればだれもが知っているであろう。

黒うさPによって作詞・作曲され、初音ミクが歌唱するボカロ楽曲であり2011年に公開されるやいなや、瞬く間の音楽ファンを魅了した。

その力強いメロディーと歌詞、そして視覚的にも強いインパクトを有した楽曲だが何よりの魅力は、その独自の世界観だ。

本論では、この魅力について歌詞を辿りながら分析してみたい。

華やかな時代の映像に隠れた現実

まず前提として押さえたいのは『千本桜」』が描いた日本の風景は、明治・大正時代の理想化されたイメージに基づいているというものだ。

しかし、これがあくまで「理想化」という点には注意したい。

それは例えば歌詞のなかに登場する「光線銃」について「実際には存在しない」などといったものではない。

ここでいう「理想化」というのは、曲中の力強い雰囲気のことを指している。

実際の歴史に目を向ければこの時代には、急速な近代化が広がり、社会全体を不安が覆っていた。

たとえば、1912年には「不沈船」として名前が高かったタイタニック号が沈没している。

当時の最先端技術を終結させた船の沈没は近代技術の限界を露呈させ、科学や技術に対する信頼を揺るがせた

また、1910年にはハレー彗星が接近し、彗星尾に毒が含まれているという噂が広まり、多くの人々がパニックに陥った。

社会全体が、自然の力に対して無力感を感じ、科学技術や近代文明これらの出来事があった社会的な動きは、『千本桜」』に描かれるような美しく、華やかな日本の風景とは対照的な時期ということになる。

過去にも未来にもないユートピアとしての[ 千本桜」

このように実際の歴史と乖離したイメージを描く『千本桜」』だが、スチームパンクの要素が随所にみられることにも触れなければならないだろう。

前述した「光線銃」などが最たる例だ。

そういった意味で、この楽曲はオタク文化に深く根付いており、『千本桜」』が単なるノスタルジアや、過去への憧れを反映しているというわけではなく、そういった誇らしい過去を持たずとも、スチームパンク要素を用いることで、理想化されたノスタルジアに逃避できる。

そのようなオタク文化における幻想的な世界や過去への回避は、現代人にとって大きな魅力なのだろう。

現実と虚構の交差点で

『千本桜」』の歌詞やメロディー、幻想的なビジュアルには、現実の日本社会の不安から逃れようとする心理が反映されている。

確かに『千本桜」』のもとになった時代は、タイタニック号の沈没やハレー彗星接近という歴史的な出来事が示すように、当時の社会は新しい時代に対して不安を抱いていた。

しかし、そのことは問題ではないのだ。

『千本桜」』は、ただの美しい幻想に留まらず、過去にすら逃避できない現代社会における人々の心の奥底に潜む不安や願望を、スチームパンクで理想化することで、過去でも未来でもない「ここではないどこか」というユートピアを描き出す。

本曲が公開されてから10年以上経った。

『千本桜」』に描かれているユートピアは描くことが出来ずとも、やはりユートピアを求める心は今でも多くの人が有しているのではないだろうか。

そうだとしたら、そのユートピアは今どのようなイメージに彩られているのだろうか。

いずれにせよ、現代日本で描かれている「ユートピア」を考えるうえで『千本桜」』はひとつの参照点になるだろう。