【歌詞考察】バルーン『シャルル』アフター系の想像力——成長も関係も否定された後に残るもの

【歌詞考察】バルーン『シャルル』

アフター系の想像力——成長も関係も否定された後に残るもの

——成長も関係も否定された後に残るもの

 バルーンによる《シャルル》は、2016年に発表されたボカロ楽曲である。疾走感のあるメロディと繰り返される別れの情景が、多くの人々の共感を呼び、現在も広く聴かれている。しかし、この楽曲が提示するのは、単なる恋愛の失敗や感傷ではない。そこに描かれているのは、関係の終焉というより、関係の不成立のような不在の手触りであり、感情を表現すること自体への忌避の姿勢である。本稿では、《シャルル》が示す感情表現と関係性の構造を、「アフター系」と筆者が呼ぶ現代的な感性の系譜の中で考察する。

アフター系とは何か

 「アフター系」という言葉は、90年代〜00年代に流行した“セカイ系”の物語構造に続く、2020年代以降の感性を特徴づけるための仮称である。セカイ系が「個人の恋愛と世界の存亡が直結する」という極端な構造を描いたのに対し、アフター系は、世界も個人も救えず、恋愛も成就せず、それでもなお「何もない日々」や「不完全な関係性」を静かに肯定しようとする。

 アフター系の物語には、過剰なドラマや成長譚が存在しない。感情の爆発も他者への依存も避けられ、むしろ「何も起こらないこと」や「関係が深まらないこと」に美しさが見出される。重要なのは、物語が終わった“後”を描くのではなく、そもそも物語を開始しないことへの傾倒である。言い換えれば、これは「ボーイ・ミーツ・ガール」の無効化された風景であり、そこにあるのは、ただ淡く接続され、すぐにすれ違い、そして何も生まない関係である。

 《シャルル》の語りは、まさにその「アフター系」の感性を体現している。

関係の不成立と感情の希薄化

 《さよならはあなたから言った/それなのに頬を濡らしてしまうの》という冒頭のフレーズからは、明確な感情の非対称性がうかがえる。語り手は関係を終わらせたのが相手であると認識しながらも、自らが泣いてしまうことに戸惑っている。それは、関係性の解消を通して感情が解放されるどころか、むしろ何も伝わらないまま、ただ「空白」だけが残されたことの象徴である。

 この曲では、感情が外に向かって発露されることが極端に少ない。《空っぽでいよう》《黙っていよう》といったフレーズが繰り返されることで、語り手の内面はますます閉鎖的になり、「わかり合いたい」という他者志向的な動機すらも放棄されていく。その意味で《シャルル》は、感情が希薄化していく過程を描いていると言える。ここでの「希薄化」は、冷淡さや無関心とは異なる。むしろ、感情を抱えながらも、それを表現したり他者と共有したりすることができない、ある種の“過剰な内面化”の結果である。

成長なき世界と「変われない」自己

 《きっとわかっていた/騙し合うなんて馬鹿らしいよな》《僕らは変われない》という歌詞には、成長神話の完全な否定が読み取れる。これまでの多くの物語では、傷ついたり別れたりすることで人は成長し、次の関係へと向かうとされてきた。恋愛がひとつの通過儀礼として機能していたのだ。

 だが、《シャルル》の語り手にとって、別れは成長の契機とはならない。むしろ、《語って夜の群れ/許し合って意味もないな》とあるように、過去を語ることも、和解することも空虚な行為として否定されている。ここでは「語り=意味付け」そのものが拒絶されている。つまり、経験を物語化することによって癒やされるという従来の心理構造が、もはや機能していないのである。

 こうした「成長の否定」は、「感情の希薄化」と地続きにある。感情を語ることも、成長を信じることも、すでに無効化されてしまっている。それゆえ語り手は、ただ空っぽな自己を維持するしかない。アフター系における「空虚な自己」は、もはや“癒やされる”ことを目的としない。ただそこに存在し、やがて消えていくしかないのだ。

透明な関係性への回帰

 とはいえ、《シャルル》が描くのは完全なる虚無ではない。《混ざって 二人の果て/譲り合って何もないな》《哂い合ってさよなら》といった表現には、明確な敵意や拒絶ではない、淡い共存の痕跡がある。それは、互いに干渉することを避けながらも、どこかで共有された“微かな何か”を記憶している関係である。

 このような関係は、「透明な関係性」として近年注目されている。例えば凪良ゆうの『流浪の月』などでは、恋愛や家族、友情といった従来の言葉では言い表せない、名前のない絆が描かれていた。アフター系の世界では、関係性は明確なラベリングを拒み、ただ一瞬でも共に存在したという事実だけが残る。言葉では名付けられないが、確かにそこにあった関係。その感覚が、《シャルル》にも色濃く表れている。

結語:語りえぬ喪失と、その後に残るもの

 《シャルル》が描くのは、派手な恋愛や劇的な別れではない。むしろ、何も始まらず、何も終わらなかったような関係性の終焉である。そこで失われたものは、語り手自身であり、物語として語られなかった感情たちである。

 「アフター系」という視点を通すことで見えてくるのは、関係の不成立をこそ美しく描こうとする現代的な感性である。そこでは、感情は内閉化され、成長は否定され、関係性は透明に希薄化する。だが、だからこそ、その「語られなさ」に宿る感情の濃度が、かえって強くリスナーの心を打つのかもしれない。

 《シャルル》は、まさに“何も起こらなかったこと”の美学を描くための詩である。