【歌詞考察】ヨルシカ『ただ君に晴れ』は幽霊への想い?タイトルの「晴れ」が示す真実

【歌詞考察】ヨルシカ『ただ君に晴れ』

幽霊への想い?タイトルの「晴れ」が示す真実

2018年5月4日にリリースされヨルシカによる楽曲「ただ君に晴れ」。この曲は、ボカロPとして知られるn-bunaによる作曲を、ボーカルのsuisが透明感あふれる声で歌い上げる。発表から数年が経過した今も、人気の歌だ。歌詞は、過去の思い出に対する切なさが表現されており、「僕」が「君」との思い出を手放せずにいる様子が描かれている。

しかし、この曲の真価はこのようなノスタルジアに宿っているわけではない。この曲の真価は「君」の正体にある。本論では、歌詞の意味やMVの描写をじっくりと考察しながら、この正体に迫っていきたい。

『ただ君に晴れ』は幽霊の歌か──歌詞の証拠とその掘り下げ

これまで見てきたとおり、ヨルシカの『ただ君に晴れ』は、一見すると青春の記憶や郷愁を描いた楽曲だ。しかし、その歌詞を注意深く読み解くと、「幽霊との邂逅」を描いているのではないかと思わせる要素が多く見られる

まず、サビに登場する「追いつけないまま大人になって」という歌詞に注目したい。これは子どもから大人への成長を示しているのではなく、「追いつけない」=「手が届かない」存在として、幽霊という解釈に結びつけることができるだろう。大人になっても「追いつけない」存在とは、すでにこの世を去ってしまった人ではないだろうか

加えて、MVにおける「二回手を鳴らす」シーンも見ておきたい。この拍手は確かに楽曲の盛り上げにはうってつけな演出だ。しかし、なぜ二回なのか。その必然性はなにか、という風に考えたとき、この「幽霊との邂逅」という文脈に従わせるならば、神道における柏手(かしわで)を思わせる動作とも捉えることができる。本来、柏手というのは神聖な存在や霊と対話するための儀式的な意味合いを持つのだが、幽霊との邂逅という視点で見た場合、これが霊を呼び寄せるための合図ではないだろうか。

そして、このように考えてしまうのは「ただ君に晴れ」というタイトルへの違和感だ。

少なくとも「君に晴れ」という言葉は、私たちが日常生活を送るうえで、使うことのない一文といえる。そうであれば、ここの「晴れ」とは単なる天候の話ではない別の意味ではないだろうか。そこで押さえておきたいのは、同音の言葉である「ハレ」という概念についてだ。

民俗学の言葉である「ハレ」とは「ケ」の対概念であり、具体的には、ハレとは年中行事や神事、人生儀礼(出産や婚姻など)を特徴としており、これらの場における行動や意識は日常とは区別され、特別な文化的意義が与える時空間のことを指す。一方で「ケ」とは、「ハレ」の反対として普段の日常を指している。

ここで「ハレ」を「霊的な特別な祭事」、あるいは「霊的な存在と交流できる機会」と解釈することができるのであれば、「ただ君に晴れ」というのは「ただ君に会いたい」という風に「霊的な存在である「君」」との再会を望む言葉として読めるのではないだろうか

幽霊の正体──「君」とは誰なのか

では、そんな「霊」とは一体「私」にとってどういう存在なのか。これに答える前に確認しておきたいことがある。それは「私」の感情の強さだ。どの程度の思いをもって、「私」は幽霊に会いたいのか。それを示す歌詞が、本曲の冒頭にある。

「夜に浮かんでいた/海月のような月が爆ぜた」という歌詞がそれに該当する。「海月のような」という部分の解釈は様々あるだろうが、直観的には、「ふわふわとしているもの」「ゆらゆらと漂っているようなもの」とみなしていいだろう。しかし、月がそのような動きをすることはない。そうであるならば、この「月」は「涙越しに見た月」なのではないか、というのが本論の解釈だ

つまり涙によってぼやけた月を「クラゲのよう」と形容しているのだとすれば、これは「会いたい」気持ちが溢れ、涙を流していることを示唆している。そして「爆ぜた」という部分も、こらえていた涙があふれてしまった様子を描写しているように見ることができるのではないだろうか。

では、この楽曲における「君」とは誰なのだろうか。答えは簡単だろう。「私」にとっての「大切な存在」であるに違いない。「友人」や「恋人」でもいい。とにかく「会いたい」という気持ちが涙に変わってしまうほどの存在だ。

歌詞の中で「写真なんて紙切れ」「思い出なんてただの塵」と述べた後に、「それがわからない」と歌は続く。この部分は「そうは思わない」でもいいはずだが楽曲では「それがわからない」となっている。「わからない」のだから、「思う」「思わない」や「賛成」「反対」あるいは「承認」「否認」は成り立たない。いや「私」からしてみれば、成り立たせてはいけないのだ。誰がなんと言おうと、議論の余地はない。それほどの強い想い。幽霊になった「君」に「会いたい」という感情。このような解釈が許されるのであれば、この歌が持つ切なさや喪失感の深さにも納得がいく。

まとめ──「君に晴れ」は「会いたい」という願い

これまで見てきたように、『ただ君に晴れ』の歌詞には、幽霊との邂逅を示唆する要素が数多く存在する。「晴れ」を「ハレ=霊的な祭事」と解釈することで、「ただ君に晴れ」という言葉は、「ただ君に会いたい」という意味へと繋がる。歌詞の随所に見られる「追いつけない」「僕ら一つだ」「写真なんて紙切れ」といったフレーズも、すべて過去の存在への未練や、もう手の届かない存在への愛着を描いていると考えられる。

ヨルシカの楽曲は、しばしば「取り返しのつかない喪失」をテーマとしている。本作もまた、そうした喪失の悲しみを「会いたい」という願いとして昇華しているのではないだろうか。