【歌詞考察】ピノキオピー『嘘ミーム』feat. 初音ミク
嘘と本当で割り切れない『嘘ミーム』が描く「信頼」

「嘘ミーム」が映す現代社会の真実
現代社会は、情報の氾濫とともに事実と虚構の境界が曖昧になりつつある。
そんな時代背景の中でピノキオピーによる『嘘ミーム』は、その独特なメロディと歌詞で多くのリスナーを魅了している。
楽曲内では、嘘と真実の間で揺れ動く感情が巧みに表現されており、その心理描写が深い共感を呼んでいる。
特に、SNSや現代社会における情報の曖昧さ、さらには虚構に対する風刺が含まれている点が特徴的であり、単なるポップソングにとどまらない哲学的なメッセージが込められている。
このブログでは、「嘘ミーム」の歌詞に秘められた意味を紐解きながら、楽曲の持つ魅力を考察していく。
現実の虚構化と信頼の低下
『嘘ミーム』の特徴として挙げるべきは、やはり「本当」と「嘘」の区分だろう。
「本当の自分」「温かい「本当」」と歌詞の中にある一方で「嘘笑い浮かべ/嘘写真を撮り」という風に曲中では「本当」と「嘘」が「自分」によって明確に分けられる。
その基準について曲中で語られていないが、概ね「心地よいもの」や「流行」、もしくは「実在するもの」は「嘘」とされ、「冷たいもの」や「残酷」なもの、「理想」は「本当」とされている。
しかし、「嘘」や「本当」の真偽自体は大事なことではない。
歌詞の意味を読み解くうえで大切なのは、なぜ「自分」はそれらを「嘘」や「本当」としてしまうのか、という点だ。
この理由を端的に述べるのであれば、「自分」は、社会や世界、現実のような目の前のものに対する不信感が原因なのではないか、と考えられる。
信頼への欲望と自己成長
社会学者のアンソニー・ギデンズは次のように述べる。
「近代という時代状況のもとで、多くの人びとは、脱埋め込みをとげた制度が、ローカルな営みをグローバル化した社会関係に結びつけ、日常生活のほとんどの側面を組織化していく」
わかりやすく言い換えれば、私たちが生きる時代の日常生活は、見ず知らずの人に支えられるようになっているということだ。
例えば、コンビニの買い物においてさえ、レジ打ちをしてくれる店員の出身や学歴などは、客からしてみれば関係のないことである。
これが「脱埋め込みをとげた制度」という言葉の意味だ。
逆にいえば、こういった制度になる前、私たちは、どこの誰からどんなものを買うのか、ということについても売り手のパーソナルな情報も参考にしていたのだ。
例えば「○○町の△△さんが作っている××はとても素晴らしい。△△さんはずっとその町に住んでいるし、悪い噂も聞かないから、売り物についても嘘をつかないだろう」といった具合だ。
さて、なぜこのような挿話が登場したかといえば、それは私たちの日常生活は、論拠薄弱な「信頼」をもとに支えられていることを示したかったからである。
『噓ミーム』は、この「信頼」の低下を歌っている楽曲であると思われる。
そう、この曲は「嘘」や「本当」ではなく「信頼」と「不信」の歌なのだ。
だからこそ例えば、「黙って君の背を見つめてた」というフレーズには信じたいけれど信じられない、あるいは信じることが怖いという心理が反映されている。
信頼への欲望が、この上ないもどかしさで表現されているのだ。
実存的な探求と楽曲のメッセージ
「嘘ミーム」は、単なるポップソングにとどまらず、現代社会への鋭い風刺が織り込まれている。
本曲が高い人気を誇っているのは、込められているメッセージに視聴者の多くが共感しているからだと思われる。
そして「嘘」と「本当」をシニカルに分けるだけでなく、それでも「信頼」をもとめようとする心情が、私たちの心に深い共感を呼び起こすのではないだろうか。
信頼に足らない現実を目の前にしても「理想」を抱き、誰かを「信頼」したいという欲望が織り込まれた本曲は、これからも多くの人に聞かれることになるだろう。